「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「非合理的なこと」を強いられることが苦手

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ブログでは何度も書いていると思うが、私は「合理主義者」だ。

日々、自らの関わることを合理化できないかと頭を働かせている。


だから「非合理的なこと」を強いられた時のストレスは大きい。


とにかく「無駄なこと」をしたくないのだ。

いや、「無駄」が学びになることがあるというのは理解している。


事前に「無駄だとわかっていること」をしたくはない。

と言う表現が正しいだろうか。

 

どれだけ効率が悪くても、

「黙って言われたとおりにしていたほうが楽」

世の中にはそういうことが多い。


変に意見を主張して軋轢を生むよりも、

大して手間がかからないことであれば甘んじて受け入れる。

そっちの方がよほど賢いのだろう。


だけれども、私にはそれが大きなストレスだ。


だから「必要のない作業」は「必要がありますか?」と確認するし、

「こうしたほうが効果的」と思うことがあれば、そう主張する。

 

主張することに「存在意義」を求めているわけではないから、

もちろん「感情的な面」まで考慮したうえで、

相手から「合理的な意見」が返ってくれば納得して引き下がる。

 

だけれども、大した理由はないと取れる返答ならば、持論を振りかざして「いかに無駄か」と語りだす。

 

客観的に見れば「めんどくさい人」だな。

私は「搾取されること」を恐れすぎているのだろうか。

そこにはきっと私の中での「自尊心の欠如」が浮き彫りになる。


自信がないから「人から不当に扱われたくない」という気持ちが働く。

要は「自分の価値」を誰かに委ねているのだ。


根本的な部分で「自分の価値」を信じることができれば、

些細なことを気にするはずがない。


「合理的」だろうが「非合理的」だろうが、

それを「決める役割」の人がいて、

その意思決定をとやかく言う必要はないのだ。


「大事なこと」は「自分の価値」を信じること、

その上で普段は「謙虚」で「堂々と」していればいいのだ。

 

組織というものは「多少の合理化」よりも慣例や建前を優先する。

「変わることによるリスク」を恐れているから、

 

既得権益の確保」

 

なんだかそれが目的になっている人たちが蔓延りすぎて、嫌気がさしているのは私だけだろうか。

 

「非合理的なこと」に気がついているのに、それを無くしてしまったら「居場所を失う恐れ」がある。

そうやって「なし崩し的に」変わらず進んでいく。

 

日本という国の持つ性質なのかな。

 

そうやって取り残されていくのだ。

自分が責任者であるうちだけ「逃げ切れればいい」って、

その繰り返し、

 

ツケを払うのは誰なんだろうね。

食い物にされているのは誰なんだろうね。

 

そうやって求心力を失った組織は瓦解する。

気がついた時にはもう手遅れ、

競争力もなければ、自力で立ち直る術もない。

 

どこか「自分たちだけは大丈夫」ってさ。

人はそう思いたがる生き物なんだけど、

その根拠は「これまでも大丈夫だったから」では、

あまりにも杜撰ではないだろうか。

 

後悔は先には立たないのだ。