「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「不都合な真実」と向き合うということ

f:id:tureture30:20210529095254j:image

 

人は基本的に時間をかけた分だけ、その対象に愛着が湧くようになる。


だからその対象が「間違ったこと」だとわかったとしても、

都合よく解釈して、それを受け入れることができない。

そうして、その「間違ったこと」を「間違ったこと」だと頭の片隅では理解していながら続けるのだ。


それまで賭けた時間を無駄にしたくはないから、

それまでに賭けた労力を、気持ちを無駄にはしたくないから、


そうやってどんどん歯止めが効かなくなる。


不都合な真実


そういうものって世の中にはたくさん転がっている。


先進国繁栄の陰には、搾取される側の国があるし、

飽食の時代の陰には、飢餓に苦しむ子供たちがいる。


恋愛にしたってそうだ。


気持ちが強ければ強いほど、

長い時間をかければかけるほど、

「見込みのない相手」に執着を深めていき、

思いが叶わないとなると、その気持ちは途端に「憎しみ」に変わる。


不都合な真実」に目隠しをし続けた結果、

無駄に執着ばかりが増していき、

取り返しのつかないところまで行ってしまうこともある。


人は一人で生きていくことはできないから、

「執着」を完全になくすことは難しい。


それこそ山にでもこもって、

ただ瞑想でもしながら生きるしかなくなる。

それでも食料や水への執着はなくなるかどうかわからない。


むしろそれをなくしてしまったら、

「生」への執着をなくすと同義だから、

何のために生きているのかわからなくなる。


しっかりと「自分の人生」を生きながら、

「執着」をなるべくしないように生きるにはどうすればいいのか。


「感謝」

この二文字に尽きるのかなと思う。


自分の今いる場所が、

自分がいま触れているものが、

自分の存在そのものが、

「当たり前」にあるものではないということ、


不都合な真実」と向き合うことは大変な作業だけれども、

人は知らないところで何かを踏み台にして生きているのだ。


そのことに卑屈になる必要はないけれど、

「生」を全うするためには、

目の前に現れた「不都合な真実」から、

目を逸らしてはいけないんじゃないのかな。


「知ってしまう」

そのこともまた巡り合わせ、


吉本ばななさんが著書『哀しい予感』の中で、

主人公に語らせていた言葉、

「知らなくていいことなんて何一つない」


知らないことはたくさんあるし、

知り得ないことはたくさんある。


だけれども、

「知らなくてもいいこと」はないのだ。


その上で「知ってしまった」のならば、

それがどんなに「不都合なこと」であっても、

それと向き合うしかないのだ。


「不都合」であればあるほど、

どんなに忘れようとしても、

それはいつまでもついてくる。


そうしないと生きていけないから、

「自分の人生」を生きることができないから、

だから向き合うのだ。


それを自分の体に取り込んだうえで見る世界はまた、

これまで見えていたものとは全く違うものになる。


その繰り返しの中で、

人生というものは「深み」を増していくのかな。

 

不都合な真実

それは人生に課された宿題なのかもしれない。