「何かが良い方向に変わるかもしれない」という予感、
そういうものを孕んだストレスはきっと「良いストレス」なのだろう。
逆に「あることが憂鬱で仕方がない」
さらに「それが良い未来につながる予感は微塵もない」
そういうものは「悪いストレス」と言えるだろうか。
人は生きているだけでストレスを感じる。
「喜ばしいイベント」であっても変化を伴うとストレスは生じるのだ。
ここ最近感じること、
適度な「ストレス」は生活に必要だということ、
それがないと「停滞感」が強くなりすぎて「生きる目的」を見失ってしまう。
もちろん「ストレス」が全くないわけではないけれど、
私は生活を合理化しすぎて「変化」を感じることが少なくなっていた。
言わば「挑戦的ストレス」とでもいうべきだろうか。
「変化」の中に飛び込んでいく。
それだけで脳のどこかしらの器官が活性化されて、
ドーパミンだかが分泌されるのだろう。
色んなことをめんどくさく感じていたものだから、
「自粛」を言い訳にして行動を起こさずにいた。
ライフステージの変わってしまった友人とはどんどん疎遠になるし、
連絡を取っていた女性は消えてしまった。
始めこそ、オンライン飲み会だなんて楽しんでいたけれど、
最近はめっきりとそういうこともしていない。
もちろんすべてが「コロナ禍」によるものではないけれど、
たかが1年余りで、私の交友関係は大きく変わったように思う。
何かを進めていかないといけないな。
少しは「ストレス」に身を晒してさ。
何かワクワクすることを日常に取り入れていかなくてはならない。
思えば消費は極端に減った。
全然お金を使っていないのだ。
その分を積み立てに回して老後の安定を図る私、
もはや私は「老後のため」に生きているのだろうか。
「消費」は自己肯定感を高めるらしい。
「消費」をしていないから悶々としているのだろうか。
何かにお金を使おう。
さして思い当たるものはないのだけれども、
何か生活が変わるようなものを買おうか。
何かいいものはあるだろうか。
「未来へとつながる予感」
人はそれを渇望しながら生きているのかな。
「これを乗り越えたら先に進める」
「この先には歓喜が待っている」
ラグビーの日本代表が自らを鼓舞するために歌っていた『カントリーロード』の替え歌「ビクトリーロード」というもの、
あれが好例だ。
苦しみの先には爆発的な喜びが待っている。
そう自分に言い聞かせて、彼らは素晴らしい成果を挙げた。
人生って、結局はその繰り返しなのかな。
うまくいってもいかなくても何度も自分を鼓舞して、苦しみに耐え抜いていく。
時折手にする歓喜に「生きがい」見出して、
それを燃料として先へと進んでいく。
その繰り返しなのかな。
人は「ストレス」に「生きがい」を見出す。
だから、それを「燃料」に変えられるかどうか。
それが大きく人生を左右するのかもしれない。
燃費良く生きていかないと、どこかで歩みは強制的に止まってしまう。
私の場合はいつも成果を目の前にして「燃料切れ」
そういうことばかりだ。
いざという時のための予備燃料、
そういうものを隠し持っておく必要があるのかな。
「強く生きる動機」
根っこにそれがないと、最後の一歩を踏み出すことはできない。
燃料配分をちゃんとしていたつもりでも、「最後の一歩」に必要な燃料は、それまでの一歩とは比べものにならないくらい多いのだ。
ゴールテープの直前には大きな段差がある。
そのことは心得ておかなければならない。