結局は「楽しんだもの勝ち」

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昔好きで読んでいたのだけれども、

どこか途中で読むのをやめてしまった漫画、

モーニングで連載中の『ジャイアントキリング

最近ふとした縁で見つけたので再読している。


随分前に話題になった漫画だけれども、

今でも連載が続いていることに驚いた。


それと同時に読みだすと「面白い」

デジタル化は便利な反面際限がない。

ハマるといつまでも時間を食われてしまう。


それもまた「コンテンツを消費する時代」

「サブスク」というのはそれを助長するわかりやすいシンボルだ。


さて、『ジャイアントキリング


「大物食い」いわゆる「ジャイアントキリング」を何よりの楽しみとする主人公、

日本代表にも選ばれるほどのサッカー選手だったが、

怪我で若くして引退を余儀なくされ、監督へと転身することになる。

海外のアマチュアクラブで実績を積み、古巣である日本の1部リーグに戻る。

かつてのスター選手だったが、海外移籍をしたことでチームでは「裏切者」扱い。

敵だらけから始まるも、弱小と化した古巣を立て直すために「監督」という立場で奮闘する。


「自主性を重んじるサッカー」


2006年のドイツワールドカップ

それを率いた日本代表のジーコ監督が掲げたサッカーだ。


その前回大会の2002年日韓ワールドカップ

それを率いたトルシエ監督は「規律を重んじるサッカー」を標榜した。


こういう世界は「結果が全て」なので、

どちらが優れているということは一概には言えないけれど、

今の社会の流れはジーコジャパンに傾いているように思う。


「自主性」がなければ淘汰されていく。

会社にしがみつく時代は終わった。

どんどんそっちの方向へと進んでいる。


話を戻そう。

ジャイアントキリング』主人公の監督、

彼はどういうサッカーを標榜しているのか。


「サッカーを一番楽しんでいるやつが勝つ」


そんなテーマを掲げて、弱者が強者を食う、

そんな「ジャイアントキリング」ほど楽しいことはないと語る。


先日、宮本慎也さんの「プロになってから一度も野球を楽しいと思ったことはない」

そういう言葉を記事にしたけれど、これとは真逆の哲学だ。


人間のタイプは千差万別だから、

「自分のスタイル」を確立してそれに殉じた人が強いのかもしれない。


「楽しむこと」


ここ最近その手の記事を書くことが多い。

それを掘り下げることが最近のマイブームになっているのだろう。


それは私自身が「人生を楽しんでいない」と感じているから、

そして私の周りの人もあまり人生を楽しんでいるように見えないから、


「野球」にしたって「サッカー」にしたって、

個人として結果が出たって、出なかったとしたって、

「楽しいと思えていること」って大事だと感じる。


「承認されたい」って、

「ファンから、監督から認められたい」って、

そこに軸足を置くから楽しめなくなってしまうんじゃないかな。


誰かと比べてばかりで、

自分の順位ばかりを気にして、

そこに「いきがい」求めているから、

生きることが楽しくなくなるのだろう。


SNSの発達により世界はどんどん狭くなっている。

上を見ればキリがないのだ。


「主体性」をもって生きる。

常に「主体性」をもって生き続ける。


そしてその結果がどうであっても、

その結果に責任を持つ。


そのトライアンドエラーの中で、

人は「成長」を実感できるのだ。


きっと「楽しいと思える時」って、

自分の成長を実感している時、


私の周りを隙間なく埋め尽くす「停滞感」

まずはそれを蹴散らすところから始めよう。


やはり私は「成長マニア」なのだろう。

「先に進んでいる実感」がないと生きられない。


忙しければ忙しいほど、

人生が充実している気がするのだ。


無理の効く体ではなくなってしまったから、

その点だけは十分に気をつけなければ、