記事のストックが余裕で100を超えていたという話

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私の執筆スタイルは、

ふと思い浮かんだ言葉を書き留めておき、

時間がある時に膨らませて文章にするというもの、

 

だから形になっているもの、

書きかけのもの、

フレーズだけのもの、

 

私のスマホのメモ帳には、

ブログの種が無数に存在しているのだ。

 

そのうちの「形になっているもの」

その数をザッと数えてみたら、なんと余裕で100を超えていた。

おそらく120は下らないだろう。

 

旬を過ぎたものや、今の心境とは全く違うものもあるから、

全てを記事にできるわけではないけれど、

私はこれから全く新しい文章を生み出さなくても、

100日は連続更新を続けられることになる。

 

公開した記事は1100に届こうとしている。

いったい私はどれだけの文字を書き続けているのだろうか。

 

ある意味では病気だ。

「書かずにはいられない病気」

 

ストックは増える一方だから、

嫌な予感はしていたのだけれども、

数えてみたらこれだ。

 

この子達の処遇はどうすればいいのだろうか。

生み出した以上は責任がある。

 

「アウトプット過多になったから言葉が出てこない」

そういう記事を書いていた時期もあったな。

 

10日くらい全く新しい記事を書かなかったこともあるけれど、

それでも心が動けば文章は降りてくる。

 

生きている限りは書き続けなければならない体になってしまったのだろうか。

 

私は「書くこと」によって、

なんとか精神を保っているのかな。

 

別に世界に対して文章を公開する理由なんてものは全くないのだけれども、

それは「私の弱さ」からくるものなのだろう。

 

誰かに見て欲しいって、

誰かに届いて欲しいって、

こんなに苦しくて辛い思いをして生きているんだって、

それを自分の内側に閉じ込めておかない私の弱さ。

 

何度か書いているけれど、

やはり思い浮かぶのは村上春樹さんの言葉だ。

tureture30.hatenadiary.jp

 

回転木馬のデッド・ヒート

「文章による自己表現に「精神の解放」即ち「救い」はない。

それを目的とするならば辞めた方がいい」

 

「書かずにはいられない」だから書き続ける。

それだけのことなのだ。

 

「精神の細分化」

 

私はこれ以上、私の内面を分解して、

何をしようとしているのだろうか。

 

私を構成する成分は、もはや髪の毛一本に至るまで詳細に記録してきたのではないか。

それでも足りずに同じようなことを書き続けている。

これが「病気」ではなくてなんなのだろうか。

 

どこにも辿り着かなかったとしても、

「世界」の見え方は変わってくる。

それはおそらく「自分」の見え方が変わるから、

 

そうやって、都合のいいところに落ち着くために、

私は今日も描き続けるのだろうか。