「デジタル化の弊害」と書くと大げさかもしれないけれど、
書く機会が減ったことによるものなのか、子供の筆圧が低下しているらしい。
そうなるとテストで選択肢に丸を付ける問題に対して、
消しゴムで消したものと選択したものの区別がつきにくくなる。
そういった理由から小学校で使う鉛筆は「2B」が主流になっているようだ。
私が小学生の時も「2B」の鉛筆を使っていた記憶はあるが、
いつの頃からか「HB」に移行していた気がする。
シャープペンは使ってはならないだなって言われていた気がするけれど、
それは今でも変わらないのかな。
「子供を取り巻く環境」
そういうものも大きく変わっているのかな。
「デジタルネイティブ」と呼ばれる子供たち、
生まれた時からスマホが生活の一部であることは当たり前なのだ。
前にも書いたことがあるけれど、
「赤ちゃんが紙の本を指でスワイプする動画」を見て衝撃を受けた記憶がある。
「生まれた時からデジタルに触れていたらそうなるよな」と変に納得した。
体力測定の結果を見ると、ここ10年くらいはあまり変化がないようだから、
単純に「デジタルが人を退化させる」というわけではなさそうだけれども、
使わなくなった機能は衰えるというのは自明の理だ。
そうなるとますます「アナログ」の価値も高まるのかもしれない。
きれいな字で書かれた手紙の持つ価値は上がる。
手間のかかる伝統工芸品なんかも同様だろう。
日本が世界に対抗するための武器はそこに隠されているように思う。
「温故知新」という言葉は実によくできているのだ。
「コロナ禍」になってからさ。
人とのつながりは制限されていく。
これはある意味では人類に課せられた試練で、
「孤独」への耐性が低い個体は淘汰されていく。
「自分の世界」はどんどん肥大化されて行き、
私が唱えるところの「パーソナリティが肥大化した時代」
そっちの方向へと進んでいる。
「デジタル」に乗っかるのが正解か。
「アナログ」に尖っていくのが正解か。
先のことはわからないけれど、少なくとも言えることは、
昔と比べて選択肢は格段に増えているということ、
就職するもしないも自由で、
結婚するもしないも、子供を作るも作らないも、
それどころか異性を恋愛対象とするかどうかも自由なのだ。
子供たちに「与えられた自由」
いや、「課せられた自由」というべきだろうか。
楽に生きようと思えばとことん楽にも生きられる。
そうやってどんどん格差は広がっていくのかな。
「鉛筆を濃くする」って安易な選択、
果たしてそれが正解なのだろうか。
「手間暇かけて正しい書き方を指導する」という選択もあるだろう。
教員の労働環境是正の問題まで首を突っ込むつもりはないけれど、
「苦労」して大人になったわけだから、
その「苦労」を子供に教えることも大人の責務なのかもしれない。
鉛筆の濃さという「小さな問題」から、
子供たちの行く末を暗示するような「大きな蠢き」を感じるのは私だけだろうか。