何物にも縛られない。
困難に直面してもそれを「成長の糧」として楽しめる。
そんな人が「自由」と言えるのだろうか。
人は「楽しむため」にこの世に生まれてきた。
そのはずなのに、人生は苦しいことばかり、
環境に引っ張られて、
現状に不満ばかりを募らせて、
そのくせ一歩を踏み出す勇気すらない。
いつまで経っても「辛い」「苦しい」「思い通りにならない」
そんな愚痴を心の中に溜め込んで、
いつだって軽く絶望しながら生きている。
そうこうしている間に「持ち時間」はどんどん減っていく。
今日一日だって、貴重な「待ち時間」
あまりにも長すぎるように感じても、
「死」を身近に感じたときに気がつく。
時は限られているのだ。
時は待ってはくれないのだ。
そんな当たり前のこと、
あまりにも簡単に忘れて生きている。
自分を「自由な人」にしてあげられるのか。
それとも鎖につなぎとめてしまうのか。
それは自分の心ひとつ、
目の前には「無限の可能性」が広がっているのに、
二重にマスクをして、サングラスまでして、
おまけに飛沫防止のついたてまで立てて、
「今は自粛だから」だなんて、
「臆病」の言い訳づくりに躍起になってさ。
おかしくて惨めで笑えてくる。
難しいことばかり考えていないでさ。
飛び込んでみたらいいんじゃないの?
きっと何とかなるし、
それだけの経験は積んできたんでしょ。
自嘲する割には自信があるくせにさ。
傷つくことが怖いからって「予防線」ばかり張り巡らせて、
自分で張った「予防線」で身動き取れなくなっていたら世話はない。
ダメだったらダメだったでさ。
別に死ぬわけではないんだから何とかなるでしょ。
「損をしたくない」だとかって、
そんなことばかりに囚われてさ。
「楽しみ」を見逃しているんじゃないのかな。
私はここしばらく、
「心を自由にしたい」と思って生きてきた。
そのためには、
「先のこと」ばかりに不安を感じないで、
「過去」にばかり引きずられないで、
「今」の気持ちを大事にしなければいけないはずなのに、
ビクビクと見えない何かに怯えながら、
自分の心を縛り付けてきた。
体は前ほどうまく動かないし、
いつまた自律神経がバカになるかわからない。
だけれども、そんな自分に全く満足をしていない。
このままで終わって良いとは思わない。
不安はたくさんあったとしても「楽しそう」と思える方向へ、
どんどん進んでいけばいい。
「主体的であること」
それが人生を楽しむための秘訣なのだ。
いつでもどこでも「主体的な人」
そういう人が「自由な人」なのかな。
私はそうありたい。