私は先のことをイメージして行動を起こすタイプの人間だ。
だからイメージの湧かない選択はあまりしない。
大きな決断であれば尚更だ。
怪しい新味のお菓子や食べ物には手を出すことは多いけれど、
基本的には保守的な生き方をしてきた。
そういう小さなところでの刺激だけで満足できてしまうような「小市民」
せいぜいそれくらいの人間なのだろう。
だけれども、今回の転職は「イメージが湧かないまま」に大きな選択をした。
そのことが私にとっては意外で、感情を消化できずにいるのだ。
今の職場では何事もなかったかのように働いている。
気が熟せば私の転職は知れ渡り、また環境は変わるのかもしれないけれど、
その分、困ったことに全く実感は湧いてこない。
本当に困ったことだ。
だけれどもよく考えてみると、そもそもライフスタイルの変わる「イメージ」って、そんなに湧いてくるものなのだろうか。
これまで転職は1度しかしていないが、出向の経験はあり3社4拠点で勤務をしてきた。
転居も何度か経験している。
そういう「転機」の前後では、これまで「イメージ」というものが湧いていたのか。
振り返ってみると「湧いてはいないかった」と、そういう結論に至る。
それでも「それなり」にやってきて今に至るのだ。
おそらく今回もなんとかなるのだろう。
少しばかり時を重ねてみれば、何事もなく過ごしているような気もする。
これまでの転機と大きく違うのは、「私の意志で転機を作り出した」ということ、
異動はもちろん1度目の転職や数回の転居は、私の意志というよりはやむにやまれぬ事情があった。
だけれども今回は完全に私の意志で決めたこと、
だからこそ誰のせいにもできないし、身の引き締まる思いは強い。
私は「私の成長」を懸けて、一歩踏み出すことを決めた。
私の人生にとっては大きな一歩、
大袈裟かもしれないけれども、人類が初めて月面に記した一歩に似たものかもしれない。
自立しているつもりでいても、私は色んな人に守られて生きてきた。
本当に人には恵まれていると感じる。
ありがたいことだ。
「先のイメージ」
何が起こるかはわからない。
そんなものは妄想に過ぎないのだ。
地道に足元を固めていく中で、見えてくるものがある。
「イメージ」ではなく着実な道のり、
この歩みの先には確かに「面白そうなこと」がたくさんあるなって、
そういうものが見えてくるのだろう。
まずはしっかりとできることをやればいい。
その先にきっと見えてくるものが私の人生なのだ。