「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「東京オリンピック・パラリンピック」の観客動員問題について

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「コロナ禍」は収まるどころか勢いを増してきている。


高齢者の感染率は下がっているとのことで、ワクチンに一定の効果はあるようだが、変異株の流入は見えないところで進んでいる節もある。

 

今のところ目立った報道はないが、参加を拒否するアスリートは増えてくるのかもしれない。


そんな中でメダルラッシュに沸く日本を想像すると、なんとも滑稽に思えてくる。


批判に晒されて、関係者として働く人たちの気持ちは複雑なことだろう。

実は私もちょっとした形で携わっているのだが、関係者は本当に細かいところにまで配慮している。


しかし「利権」が絡んでくると難しい。

既にお金は出してもらっているので、それを賠償金という形で割り増して返すことは困難を極める。

債権を返上してくれれば済む話ではあるが、それは現実的ではない。

 

損失をどうするか。
国が被るのか。都が被るのか。

どのみち泥沼、

 

「オリンピック中止」などという荒唐無稽な主張をして票を集めようとする無責任な政党があるようだ。

問うたところでこれから中止にするための道筋を具体的に示せるはずはないだろう。

民衆を騙して票を取る卑劣な政治利用だ。


私の意見としては、今更「中止にしろ」とは思わないが「無観客」はマストだと思う。


既に会場の収容定員の50%以内かつ1万人以内で決定を見たようだが、オリパラ期間の自粛要請、テレワーク要請をすることは間違いないだろう。

そうなると国民感情を慮ると「観客を入れる」というのはどうしたって腑に落ちない。


ポピュリズム的無観客」


先日、元大阪府知事橋下徹氏が面白いことを主張していた。

自身は科学的な見地から「無観客」にしたところで感染拡大リスクはそこまで変わらないと思うけれど、国民がそれを望むのであれば「ポピュリズム的に」いわゆるパフォーマンスとして、「無観客」にすることは必要だと思う。

そのような主張だったかと記憶している。


私の見た情報だと「定員オーバー」となるチケットについては、一度払い戻しての再抽選、

そこにかかる人件費諸々や当選していた方の気持ちを考えたら「無観客」のほうがよほど腑に落ちる。


野球を例にするならば、会場であるハマスタの収容数が3万人なので、これが1万人となれば3分の2は一度当選したのに見られないことになる。

人は「損をすることが苦手な生き物」だから、この3分の2の人たちに渦巻く負の感情は侮れない。


近頃は「エモい」という言葉が使われるようになった。

人は「感情を動かされる体験」にお金を払う時代、

だから「ライブ」の価値は上がるし、プロ野球もここ数年でチケットを簡単には取れなくなった。


こういうところから不満って広がっていくのだ。

「国民に歓迎された大会にしたい」だなんて口では言っているけれど、

国民感情に寄り添わなければ「歓迎される」なんて夢のまた夢だ。


「スポンサー」のために犠牲になる「日本国民」

もはや、そんな構図を崩すことはできないところまで来ている。


もはやお金の問題ではない。

「やるしかない」としたところは仕方がないけれど、国や都が損失を被ってでも国民感情をなだめていかないと、大会後に待ち受けている感染拡大を受けて「それ見たことか」と指をさされることになる。


ずっとそういう保守的な方針で緊急事態宣言を続けてきたのに、オリパラだけは特別という感覚がわからない。

「鶴の一声」を発動できるような求心力のあるリーダー不在なことが元凶だろうか。


もはや「誰も責任を取らない」のではなく「誰も責任を取れない」

そんなフェーズに突入している気がする。