東京オリンピック・パラリンピックについての一連の報道を見ていると、ただ面白おかしく騒ぎ立てて収拾つかなくさせるのがマスコミの仕事なのかと思う。
それぞれの主義主張があるのは勝手、
犯罪さえ犯さなければ中止を求めるデモでも何でもやればいい。
それがその人たちの「正義」で生きがいなのだろうから、
バッハ氏の歓迎会もやればいい。
大会を行う以上は「不要不急ではない」と判断されてしかるべきだろう。
飲食を伴わないものだったようだし、むしろ模範の対策を行ってそれを広く喧伝するくらいのことをすればいい。
海開きだってすればいい。
県外への外出だってすればいい。
もはや「行動制限」に頼るのは限界なのだ。
自粛要請を始めて1年あまり、
その影響は「善悪」を超えて「生き方」に関わるレベルまで来ている。
特に学生に対する影響は大きく、二度とはない経験に対する機会損失へと繋がっている。
見方によっては「基本的人権の尊重」に抵触するくらいだ。
ここまでくるともはや自己責任、
国としてやるべきことは「行動制限」ではない。
「制限を緩和したうえで感染拡大を防止する」ということ、
どうも他国と比べてそういう視点がないように思う。
「命の重み」
命は確かに大事だけれどもさ。
その「命の使い方」も同じくらい大事、
感染リスクを負ってでも、せざるを得ない行動があるのであれば、それはその人にとっての「命の使い方」
それを制限することは、もはや難しい時期を迎えているのだ。
何でもかんでも否定するマスコミ、
元凶はそこにあると思う。
「負の感情を煽ること」で人の関心を引く。
それで数字をとって時事問題を食い物にする。
「政府がこんなバカなことをしている」
「行楽地は人であふれている」
「デモなんて奇怪なことをしている」
何の信念も持たない傍観者、
ただ「数字が取れればいい」
自分の利益しか考えていないのだ。
「コロナ禍」でネタには事欠かないし、自粛でおうち時間が増えたものだから、
テレビ局はたいそう景気がいいんだろうね。
それぞれの立場で大変な思いをしている人たちを食い物にして、
何でもかんでも揚げ足とるように引っ掻き回してさ。
いつでもただの「傍観者」
バカらしくて仕方がない。
ここ最近はワイドショーをバカらしくて見ないようにしている。
「いいとも」の枠に収まった番組が特に嫌いだ。
芸能人がワイワイ楽しくゲームでもやっていた「いいとも」のほうが何百倍も価値がある。
テレワークだと昼休みにテレビをつけるけれど、ワイドショーには辟易する。
なんだか世相とは関係のないエンタメ系の企画ばかりを見るようにしている。
いかにも自分たちが「正義」で、批判する対象は「悪」なんだって、そんな独りよがりな姿、
マスコミが過剰に騒ぎ立てて、国民感情を煽って、負の連鎖を生み出している。
それにもかかわらず「報道する側」は、いかにも「正義面」をする。
この構図は何なのだろうね。
組織ってものは恐ろしい。
個々人は「人を食い物にしている自覚」すらないのだろう。
会社の指示でしているだけ、
そうやって、人は「罪悪感」を薄めることができるのだ。
個人が情報を取捨選択する時代、
知らず知らずのうちに検索情報は蓄積されていき、
趣向に沿ったものばかりが目に付くようになる。
そうやってバイアスは加速して取り返しのつかないところまで行くこともある。
マスコミの報道も同じなんじゃないのかな。
人は「経験を信仰する生き物」だから、触れた回数の多い情報ほど信ぴょう性が高いと信じ込む。
そうやって「世論」というものが出来上がるのだ。
社会主義国家のやり口なんかはこれが肝になる。
最も国益(国民の利益)に反する存在がマスコミなんじゃないか。
誰かの足を引っ張ることがお仕事、
もっと他にやることないのかな。
なんだかそう思う。