私の中でも何か一区切りがついたように思う。
開会式は予定があり、
あまり見られなかったのだけれども、
閉会式は初めから終わりまで見ることができた。
終盤に流れた「東京音頭」
ヤクルトファンにとっては最高の演出だった。
世界中の人が音頭に合わせて踊る。
まるで世界がスワローズを応援してくれているかのようだ。
「世界融和」
国籍も性別も人種も関係ない。
コロナによる分断にも負けず、
人と人とは繋がっていけるのだ。
そんな素敵な演出だったと思う。
選手だけではない。
スタッフも真剣にこの時まで走り抜いてきた。
その集大成がこのオリンピック、
人類にとっても大きな区切りなのかもしれない。
次回は「パリ2024オリンピック」
こうして熱は聖火とともに伝わっていくのだ。
3年後に世界はどうなっているのか。
何事もなかったかのように元の世界へと戻っているのだろうか。
それとも人類にさらなる試練が降りかかっているのだろうか。
それは誰にもわからない。
だけれども、世界は回っていく。
時は先へと進んでいく。
その速度に振り落とされないように、
我々は自分の手足を動かさなければならない。
心を動かさなければならない。
「新しい時代の担い手」たち、
スケートボード競技が印象的だった。
岡本碧優選手が果敢にも大技に挑み失敗してしまうと、それを讃えるかのように他の国の選手たちが彼女を抱え上げる。
彼女たちの多くは10代だ。
競技によって優劣をつけることが目的ではない。
「いっしょに最高の場を作りたい」
そんなSNS全盛の時代を生きる若者たちの姿がそこにはあった。
我々の世代から上はもはや「レガシー」なのかもしれない。
「新しい価値観」がどんどん生まれているのだ。
もはやアスリートの多くは私よりも年下だ。
そう考えると自分が歳をとったことを感じる。
自らの価値観に拘らず、若い世代から学ぶ姿勢、
これから先、さらに歳をとって行くにあたり、
そういう「柔軟性」を忘れてはならないと感じた。
今回のオリンピックは、毎日のようにテレビにかじりついて応援していた気がする。
こんなにオリンピックに夢中になったのは初めてだ。
「パンとサーカス」
私には「サーカス」が足りなかったのかもしれない。
小難しいことばかり考えているよりは、
「生きている実感」の方が大事なことも少なくないのだ。
夢のような期間は終わりを告げた。
ここから先、私は新たなチャレンジへと進んでいく。
東京2020オリンピックとともに、
私にとっても一つのステージが終わったのだ。
さあ、新しいステージの幕開け、
なんだか、今から2024パリ大会が楽しみだ。
その時に私はどこで何をしているのだろう。
ひょっとしたらパリの地にいるなんてこともあるかもしれない。
楽しみで仕方がない。
「スポーツの力」
そういうものをまざまざと見せつけられた気がする。
パラリンピックの方も素晴らしいものになるといい。