昨年、アルバムに先駆けてミュージックビデオが話題になった楽曲、
冒頭から意味深なナレーションで始まる。
見聞きしたことすべてを記憶してしまう少女、
一日が立つと記憶を失ってしまう少年、
その二人の物語、
少女は「記憶に追われること」を疎ましく思い、
少年は「記憶が蓄積しないこと」が悩みだ。
二人の記憶を共有するものは1冊のメモ帳だけ、
「人は経験を信仰する生き物」
私がたびたび使う表現だ。
そうだとするならば「経験が蓄積しない人」は何を拠り所に生きていくのだろう。
そんなテーゼを突き付けられたような気がする。
「今この時を生きる」
その繰り返しが人生だ。
だから「今この瞬間」にも人生はある。
もしかしたら人は、そんな簡単なことを忘れて生きているのかもしれない。
過去に縛られて、未来にばかり思いを馳せて、
「今の気持ち」を後回しにして生きているのかもしれない。
「経験」を蓄積した先にあるもの、
それは「今の気持ち」だ。
過去から紡がれてきて、今、この時に浮かぶ気持ち、
それこそ「大事にしなければならないもの」なのかもしれない。
「忘れられない少女」と「覚えることのできない少年」
対照的な二人だけれども、
心はつながることができる。
サビにある、
「誰の目にも触れないドキュメンタリーフィルム 」
それぞれの人生という「Documentary film」を紡いでいく中で、
少しでも気持ちをつなげることができる人と、
あとどれだけ出会うことができるのだろう。
「たいせつなともだち」
それは、心を通わせることのできた相手を指す言葉なのだ。
Mr.Children「Documentary film」