「無意識」は先を見ている

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私はたまに友人や後輩に意味のわからない言葉を投げかけてみたり、

意味の分からない行動をしてウケを狙うことがある。


それは突拍子のないネタのように思っていたけれど、

振り返ってみると「あの時の私のネタには意味があったのか」と思うことがある。


私は直感的に行動を起こすことが多い。

その時は気が付かなくても「無意識」は先を見ているのかもしれない。


たまに訪れる「眠れない夜」


その多くは「夢」に起因するものなのは明らかだ。

夜中に目が覚めると動悸がして「不安」が襲ってくる。

その「不安」の理由がはっきりしていることもあれば、はっきりしていないこともある。


「無意識」が肥大化して行動に影響を及ぼしてくる。

私の「眠れない夜」の正体はそういうものなのかもしれない。


随分と昔だけれども「自分の不安を信仰している」と語る友人がいた。

なにか「不安」が襲ってくると、とことんそれと向き合って、

「不安」が自分をどこに導こうとしているのか考察するという。

 

一見すると荒唐無稽なように思えたけれど、

今になるとその感覚を理解できる。


私が直感的に起こすアクションには何らかの意味があって、

私に内在する「無意識」を投影している。

そう考えれば考えるほどに、私は「私という人間」に興味が湧く。


ここ最近は心の向くままに行動してきた。

努力の必要なことには努力で応えてきた。

思慮深く「考えることが先」だった私が「動くことが先」に変わってきた。


パニック障害を境に「前の私」と「今の私」

そういう表現を使っているけれども、まさに人が変わったようにここまで走ってきた。

5年という歳月の重みを実感する。


人生には「パラダイムシフト」が必要なのだ。

ガラッと自分の中で何かが変わるような、そんな瞬間が必要なのだ。


これまでに私は2度、人生が変わるような経験をしてきた。

もしかしたら今、3度目が訪れているのかもしれない。


この6月、7月、そして8月と、

それほどまでに大きな変化を感じている。


これまでとは違って、私が土台から変わってしまうような感覚はないけれど、

環境や、周りから見た私、そういうものが目まぐるしく変わっている。


そういう場所に身を晒しているうちに、私もまた土台から変わるのだろうか。

好ましい変化ならば歓迎する。


だけれども、私は私のことを注意深く観察するようになってしまったから、

土台から変わるような変化は起こらないのかもしれない。


過去を引きずる私、

自分ではどうしようもないことにばかり囚われる私、

どこか自意識に引っ張られる私、

イザという時に尻込みする私、


そういうところを変えたいとは思うけれど、これは「枝葉」なのかもしれない。


「土台から変わる」ってどういうことだろう。

本人の実感でしかないのかもしれないな。


「無意識」に導かれて進んだ先に、必要なものはあるのかもしれない。