AmazonPrimeを開いたときに、
「あなたにおすすめの作品」ということで表示されていた作品だ。
『響 HIBIKI』
欅坂46時代のダークなキャラクターから一転、人間らしさを出すようになった平手友梨奈さん、
ハーゲンダッツのCMで見せる笑顔は別人かと思うほどキュートなものだった。
少し気になる存在だった彼女の主演ということもあり、
気が付くと「再生ボタン」をクリックしていた。
あまり期待はしていなかったのだが、思いの外いい作品だった。
原作は2017年に漫画大賞を受賞した『響 ~小説家になる方法~』らしい。
あらすじはこうだ。
高校1年生、15歳にして出版社に投稿した純文学作品が絶賛され新人賞を獲得した。
著者である彼女は「普通ではない感性の持ち主」
小柄で華奢なメガネの文学少女という風貌とは裏腹に、
信念を決して曲げずに「喧嘩上等」と売られた喧嘩はすべて買う。
考えるよりも先に手が出る性格で度を超えた報復も厭わない「壊れた性格」
だけれども、発する言葉は「ド正論」で、それをぶつけられた大人たちは口をつぐむ。
そんな彼女の処女作は史上初となる芥川賞と直木賞を同時に受賞して、
正体不明の天才女子高生作家と時代の寵児として持てはやされることになるが・・・
まず、この作品自体が「純文学」であり「哲学」だ。
「天才」とはどこか「頭のねじがぶっ飛んだ存在」
そんなエキセントリックな描写とは裏腹に「どこにでもいる普通の女子高生」
その対比により「人間存在の本質」をあぶり出そうとする。
彼女のセリフで象徴的なものがある。
「誰がどう評価しようとも私は私」
彼女にとって「小説を読むこと」は「著者の心に触れること」
「自分の小説を読んでもらうこと」も同様なのだ。
だから評価を気にすることなく誰に対しても「読んでくれてありがとう」と述べる。
駄作は駄作、良作は良作、
そこに遠慮などなく著者本人に魂でぶつかる。
「自分が自分であること」に命を懸けているのだ。
社会性云々はともかくとして、
「人はかく生きるべき」
そんな一つの答えがそこにあるように感じた。
彼女は一瞬一瞬を自然体で心に身を任せて、
とことん自分らしく生きている。
誰かの評価を気にすることもない。
誰かに忖度することもない。
とにかく自分らしく生きているのだ。
だからその作品は人の心を捕らえて離さない。
作中、あるベテラン作家に対して彼女が言い放った言葉、
「私はあなたにムカついているの。
あなたは確かに天才だったはず、だけれども最近の作品はただ文章を並べているだけ、
作家は人を感動させる文章を書くことが仕事でしょ。
ちゃんと仕事をしなさい」
それを言われたベテラン作家は、
「俺は名声を得てからとっくに世界と自分との間に折り合いをつけてしまった。
世界に対して言いたいことなんか何もないんだよ。
だから世界を変えるのはお前に任せる」
と、そう言ってうなだれた。
人は社会に染まれば染まるほど、
「間違っていることでも正しいと思い込めるスキル」を身に着ける。
何度もそれを行使しているうちに、
「何が正解で何が間違いなのか」を自分の頭で判断できなくなっていく。
誰かに答えを与えられて、
ただ、与えられた答えに向かって進んでいって、
そのうちに答えにたどり着くための手順まで指示されるようになって、
はじめから「答え」が用意されていないと身動きすら取れなくなる。
そうやって「自分の人生を生きる時間」はどんどん減っていく。
彼女はそれを許さない。
「自分が自分らしくあること」
「人がその人らしくあること」を求める。
周りはそんな彼女に振り回されながらも、
どこか救われていく。
みんな「自分らしくありたい」のだ。
だけれども、どこか社会と折り合いをつけて、
「自分らしくあること」を放棄しながら生きている。
自由奔放で頭のねじのぶっ飛んだ彼女、
みんな彼女を「狂人」だと言いながらも、彼女に憧れているのだ。
「楽しそうな人が憎い」
そうやって電車内で連続して人を切りつける事件があったけれど、
あれは「自尊心の欠如」からくるもの、
犯人は「殺せなかったことは残念だが、逃げ惑う人を見て気持ちが良かった」と、
そう述べたらしい。
「自分を殺した上に報われない」
社会はそういうことばかりだ。
だからどんどん自分が無価値に思えてくる。
「自分を受け入れない女性に対する敵意」と相まって 、
「無価値」であるよりはマシだから、
負の方向でもいいから「自分の存在」を知らしめたい。
そんな心理的背景があったのではないか。
何はともあれ、
「自分らしく生きること」を我慢しなくてもよくなれば、
今の「閉塞感」から救われる人は多いのではないだろうか。
現実的にそうはいかないことはもちろんだ。
だけれども、この『響 HIBIKI』という作品からは、どこか「かく生きるべき」というようなメッセージを感じる。
誰かと比べてばかりで、
誰かに気を使ってばかりで、
ソシャゲ以外に息抜きの方法が見当たらない。
そんな時代に蔓延る閉塞感、
それを打ち破るためには、
とことん「自分らしくある」しかないのかもしれない。