「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「正解」を持たないのに「正解」を知った気になる若者たち

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正解は一つではない。

 

それこそ、「人の数」だけある、

いや、一人の人にとっての正解も無数にあると考えると、

「人の数」なんてものでは収まらないのかもしれない。

 

それだけ無数の正解があるということは、

それに至るルートも無数にあるということ、

 

一見すると「間違い」に思えるような選択でも、

もしかしたらそれが「正解」なのかもしれない。

 

今の世の中は格段に「自由」が増えて、

自己責任ではあるが、人生をカスタマイズするためのパーツはそこかしこに転がっている。

 

高校を卒業して、大学を卒業して、就職して勤め上げる。

何度か交際経験を経て、運命の人と巡り合い結婚して、子を産み育てる。

 

そんな「モデルケース」のような人生は、

徐々に「レアケース」へと向かっているのかもしれない。

 

今は「何が正しい」と断言することが難しい時代、

だから、「自分はこうしたほうがいいと思う」

そういう表現に留めるしかないのだ。

 

あとはその言葉の端々から誠意が伝わること、

「相手のことを思って言っている」

そういう気持ちが伝わるようでなければならない。

 

親や教師は「友達」に近づき、

年齢や経験も成果へと直結するとは限らなくなった。

 

「個性を尊重する」

 

そうやって若者は社会に出ると握られていた手を離されて、

ある意味では「大海原を自分の力で乗り越えること」を求められる。

 

パーソナリティは肥大化したものだから、

これまでの「経験」という信仰をもとに生きたいと願い、

「指導されること」を嫌って、

アドバイスに対しては「なるほど」と答える。

 

「与えられること」に違和感を感じているものだから、

「与えられたこと」に対しても「自分で選び取ったことだ」と思いたがる。

それが「なるほど」という言葉に垣間見えるのだ。

 

「正解」を持たないのに「正解」を知った気になる。

そうなってくるとまた難しい。

 

先日視聴したオンラインセミナーで面白い問いかけがあった。

逆説的に「人が育たない環境」について条件を挙げていくというもの、

 

「1から10まで指示を与えて自由を奪う」という声もあれば、

「目標を与えない」というものもあった。

 

要は「バランスが肝」となるのだ。

 

マネジメントする側は、

「わからないようにレールを敷いてあげるスキル」を求められるようになる。

「自由」を尊重しながらもある程度は導く必要があるだろう。

 

そのためには、まず自分がそう働かなくてはならない。

バランスよく「抑えるべきところ」と「遊び心を加えるところ」を見定めて、

生き生きと働いている必要があるのだ。

 

若者たちはそういう上司の姿を思った以上に見ている。

「自由」でありたいと思いながらも「メンター」を欲しがる。

そしてそれを「自分で選択したい」と思っている。

 

「どこかにじみ出る余裕」

そこに若者たちはそこに「ほかの大人たちとは違う」と魅力を感じるのかもしれない。

 

「人が記号になっていく」

 

映像の中の人たちとリアルに接する人たちの「境目」はあいまいになっていく。

これから先の未来は、より一層それが顕著になっていくだろう。

「会った回数」よりも「触れた回数」のほうが力を持つのだ。

 

だから若者たちは「画面の中の成功者」と「リアルの上司」を比較する。

そういう恐ろしい世の中になりつつあるのだ。

 

どんどんハードルは上がっていく。

SNSの申し子たる若者たち、

彼らに「経験」はなかったとしても、少なくとも目だけは肥えている。

 

評価するのはマネジメント側だけではない。

互いが互いを評価する時代に変わってきた。

 

「リアル」と「バーチャル」の境目があいまいになると同時に、

「正解」と「不正解」もまた、あいまいになっていく。

 

何事も決めつけないで、その本質を洞察する力、

そして、そこに対して理解・共感する力、

加えて、それを判断して全体における最適解を示す力、

 

これから先の時代が求めるビジネススキル、

なんともレベルの高いものだ。

 

「正解」なんてものは、その形をあいまいに変えている。

今現在見えている「正解」の形に囚われてしまうと痛い目を見るのかもしれない。