先に進んでいる気が全くしない。
そんな「停滞感」
そういう状態があまりにも長引くと生じる「焦燥感」
停滞していたとしても、本人が意に介さなければ、
「焦燥感」が生まれることはない。
詰まるところ気持ち次第なのだ。
私は長いこと「停滞感」を感じてきた。
そしてそれが「焦燥感」に変わってからもさらに長い時を過ごした。
だから、現状を変えようとしていろんな試みを行ってきた。
婚活にいそしんだり、
ランニングをしてみたり、
ガチな筋トレをしていた時期もあった。
それでも状況は変わらないものだから、
環境を大きく変えたいと思い、転職までした。
ガラリと環境は変わり、
コロナ禍の社会情勢と相まって、
大変なことばかりだ。
これにより一時的に「停滞感」は払しょくされたのかもしれない。
それでもどこかに残り続ける「焦燥感」
やはり「私の心ひとつ」なのだ。
今は生活に慣れることで精一杯、
生活の最適化を模索している状況、
どちらかと言えば「落ち着かせる方向」への行動変異、
そういうものに時間を割いている。
生活の隙間は格段に減って、
落ち着かない日々を送っている。
随分と変わってしまったものだ。
私も世界も環境も、
随分と変わってしまった。
それでも「焦燥感」は拭えない。
私は何に焦っていて、
何を求めているのだろうか。
「本質的な気づき」から、
どこか自分を納得させるようなロジックを組み立てて、
それを基準として「生き方」を変える必要があるのかもしれない。
とりあえず今は課題山積、
落ち着かせることに注力しよう。
人との距離は広がって、
心と心は干渉することを避けて、
「パーソナリティ」は肥大化する一方だ。
多分に漏れず私もきっと、
その「パーソナリティ」を持て余しているのだろう。
「自分のやり方」
私は私として生きる時間が長くなるほどに、
「私であること」にこだわるようになるのだ。
その垣根を取っ払うことが、
「本質」へと近付くための必要条件なのだろうか。
そうだとするならば、
あまりにもハードルは高い。
一度価値観をぶっ壊して、
いろんなものを手放して、
必要だと思うものだけを掴んでここまで来た。
それをゼロからもう一度点検しなおさないといけないのか。
逆に今がチャンスなのかもしれない。
転機を迎えた今だからこそできることなのかもしれない。
身一つで飛び込んだ新たな舞台、
そこで私はまた新たに色々なものを積み上げていくのかな。
その過程で手放す必要のあるものも出てくる。
トレードオフにならざるを得ないものは、
意外と世の中にはたくさん転がっているのだ。
私は私に必要なものを、
しっかりと両手に掴み取っていけばいい。
どこで終わるかもわからない人生、
一日一日を悔いなく生きたい。