体を鍛えていても「行動力」は衰えていく

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あれもしたい。これもしたい。

もっとしたい。ともっともっとしたい。

 

いくら時間を持て余していて、

そう願ったところで、

頭の方に余裕がなければ行動に移すことはできない。

 

無駄な思考はスパッと取りやめて、

考えるべきことにリソースを割く。

 

そういう「切り替えの達人」がバイタリティ溢れる「行動力」のある人なのかもしれない。

 

私は「切り替え」が下手だ。

割と引きずられて過去を思い返すことが多い。

 

あの時の自分を許すことができない。

ふと思い浮かぶ何気ない一言を思い返しては、

その言葉の真意を探って不安を感じたりしている。

 

今の私になる前の私は、

あまり過去を引きずることなく目の前のことに夢中でいられたように思う。

 

自分でかけた「目隠し」

それを都合よく使い分けて、都合のいいことだけに夢中になっていた。

 

だけれども、今の私、

 

本質と向き合うことが癖になってしまったものだから、

日常の色んなことを捨て置けずにいる。

 

無意識の仕業だからどうすることもできないのだけれども、

刻一刻をやり過ごすことが苦手になってしまったようだ。

 

だから「停滞感」に耐えられないし、

だから「不誠実さ」を許せない。

 

そうやって、無駄な思考のリソースを使っては、

「楽しむ方向」に割くべき余力は残っていない。

 

もっと簡単に割り切ることができればいいのにね。

 

頭の使い方の問題なのだろうか。

書くことが癖になってから、

私は私と向き合いすぎているのかもしれない。

 

「おもしろいことがしたい」

 

そう思って行動を変えてきたけれど、

おもしろいことを目の前にしても、

それを楽しむ余裕がなければ元も子もない。

 

スパッと切り替える。

何かそのためのスイッチのようなものが必要なのだ。

 

運動習慣は身に付けているけれど、

筋力は20代よりも上がっているはずだけど、

「行動力」と「回復力」は衰えていく。

 

不思議なものだ。

 

私の仮説では、脳と体を繋ぐ「神経」が衰えるから、

だから体は健康でも行動できなくなるのだと思っている。

 

「神経をすり減らす」という言葉があるけれど、人は本当に神経をすり減らしながら生きているのかもしれない。

 

神経を鍛えることはできるのだろうか。

いや「整える」か。

 

そうやって、どんどん保守的になっていくのかもしれない。

 

心が固まってしまう前に、

間違えずにステップを踏んで、

手足を動かし続けるしかない。

 

ダンス・ダンス・ダンス

 

いつまで踊り続ければいいのだろうか。

死ぬまでか。