何が「ヒーロー」だ。
何が「ただ一人」だ。
断っておくが、私はミスチルのファンだ。
この記事にアーティストや曲を貶す意図はない。
「ヒーロー」への憧れ、
言い換えればこれは「幼稚的全能感の集大成」だ。
子供の頃は無限の可能性が広がっているように思えるから、
自然と憧れは大きなものに向いていく。
テレビの中のあの人たち、
圧倒的な存在感のスポーツ選手、
引いては二次元のキャラクターにまで飛び火する。
「天上のない世界」
それは子供が子供であるために必要なものだ。
だけれどもどこかで挫折を味わうたびに、
どんどん天井は頭上へと迫ってくる。
やがて膝を曲げないと窮屈になり、
場合によっては立つことすらできなくなることもあるだろう。
それでも人は、床と天井に挟まれて、
自分の「居場所」を確保することすらままならなくなっても、
「ヒーロー」への憧れを捨て去ることはできないのだ。
「どこかで誰かの役に立ちたい」って、
心のどこかでそう願い続けているのだ。
だから「ヒーローになりたい」
「ただ一人 君にとっての」
それが最後の「妥協」なのだ。
人の「自意識」
それまで時間をかけて積み重ねてきたもの、
だからどんなに非合理的で無駄なものだったとしても、
それを簡単に捨て去ることはできないのだ。
「ヒーローになりたい」
どんなにそれをバカにしたところで、
どこか心の奥底に残るむず痒さ、
それは「ヒーロー」に憧れているという証拠に他ならない。
こんなにボロボロになった男としての自尊心を抱えながら、
それでもやっぱり私も「ヒーローになりたい」
ただ一人、誰かにとっての、
きっとそれが「最後の砦」なのだ。
私はいまだにきっと、
「努力は報われる」と信じているのかな。