たとえそれが傍から見たらどんなに馬鹿げたことだとしても、
本人が夢中に取り組んでいたらそれは「素敵なこと」なのだ。
未就学の甥、
彼が夢中になっている「恐竜の動画」
何度も何度も繰り返してみて、
流れやセリフまで暗記してしまうほど見ている。
それでも彼にとってその動画は面白いらしい。
人にはそれぞれ「その人にしか見えない世界」があって、
その世界の中で生活をしているのだ。
もしかしたら、私の見えている「赤」と、
あなたの見えている「赤」は違う色かもしれない。
だからそれぞれの世界、
「おかしみ」は世界の数だけ存在している。
オリンピック、パラリンピックから感じる熱量は、
そういうところが大きかったように感じる。
一つのものに途方もない努力を捧げる。
その想いの集大成、
そこから溢れ出す思いに心を動かされるのだ。
「趣味」に上下関係はない。
アニメだろうが、同人誌だろうが、
スポーツだろうが、読書だろうが、
その人が心から夢中になれていれば、
それはその人の世界では素敵なこと、
だけれども、気を付けなければならない。
人の世界を壊すことは悪だ。
物理的にその器たる体を傷つけたり、壊したり、
精神的に蔑んで傷つけたり、
そういうことに夢中になっている人は少なからずいる。
その人は「夢中になれること」が見つからない哀れな人、
だから、「夢中になっている人」に嫉妬しているのだ。
どこか虚しさを感じながら生きているならば、
興味の湧きそうなものを片っ端から掴んでいくしかない。
人は「虚しさ」に飲み込まれてしまう。
そうやって「諦め癖」をつけるようになる。
天井をどんどん低く見積もって、
手の届くところで満足してしまうようになる。
心の底から満足していればそれでいいけれど、
そうではないくせに「行動を起こさない」
たとえ手足を縛られていたとしても、
その環境で充実感を感じることができる。
私はそういう境地を目指している。
そのためには、
「目の前にある世界」で黙々と自分を磨き続けるということ、
そういう地道な反復作業が必要なのかもしれない。
笑顔が素敵に見えるのは、
それが「充実感の証」だから、
愛想笑いや作り笑いではない。
心の底から湧き起こるような笑顔、
そういう笑顔を見るたびに私は思う。
人生のうちにあと何回、
私はこういう笑顔になれる体験をすることができるだろうか。
それは私のバロメーター、
充実した生を送っているか否かのバロメーター、
「棚ぼた」では笑顔は湧き起こってこない。
どうしたって、地道な努力が必要なのだ。
「目の前にある世界」で黙々と自分を磨き続ける。
またいつか迎える「心からの笑顔」を作るその日に向けて、
私は今日も精一杯生きる。