「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「成り行き」に身を任せるということ

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何か目には見えない大きな流れがあって、

それに抗うように生きていても、

もしかしたら、それはロスの多いサステナブルではない生き方なのかもしれない。

 

村上春樹さんは『ノルウェイの森』の中で、

主人公の性質を通してこれを「自分のやり方にこだわりすぎている」と表現していた。

 

私もそういう性質を持っていて、

それは歳を取るごとに強くなっていく。

 

心が耐えきれなくなり、

一度多くを手放した末にここまで辿り着いた。

 

だから今は割と自分のことを客観的に見て、

どこか自分を研究対象のようにしている節がある。

 

心の動きをつぶさに観察して、

こういうときの自分はこんな心の動き方をするのかと、

どこか別の視点から眺めているような時もある。

 

精神的と身体的、

一度ずつ死にかけたものだから、

心の振れ幅は小さくなったのかもしれない。

 

その小さな振れ幅に物足りなさを感じて、

「転職」という形で環境を大きく変えてみたけれど、

悪戦苦闘しながらも、口では「大変だ」と言いながらも、あまり振れ幅は大きく変わらないようだ。

 

慣れないことばかり、

できないことも多い。

期待されている水準からは程遠いだろう。

 

もちろん努力はしている。

だけれども、淡々と任されたことをこなしながらも、

どこかで予防線を張っている自分がいる。

 

「時間をかければなんとかなる」

「これまでの経験上、一定の立ち位置は確保できる」

「最悪、出来なくても死ぬわけではない」

 

そうやってどこか割り切っているのだ。

 

「必死で頑張る」とか、

「何がなんでもやるしかない」とか、

どうもそういうスタンスにはなれない。

 

少し前に記事にしたけれど、

これは「高揚感に身を任せられない」ということと同義なのだろう。

 

ここを変える必要があるとは感じている。

一つギアを上げて、キャッチアップに取り組まないといけない。

求められているものが想像よりもずっと高かったのだから、

 

この客観視、

 

ブログを通して身についたものだけれども、

これは私にとって「武器」であり「弱点」でもあるのだ。

 

このことに気がつけただけでも、

環境を変えた意味はあるのかもしれない。

 

今回の転職はキャリアアップ、

だけれども、私は私のことを過大評価していたのかもしれない。

 

「自分のやり方」を手放したと思っていたけれど、

気がつくと新しい「自分のやり方」に沿って生きている。

 

少なくとも今の状況では、

必死で食らいつく「前のやり方」の方があっているのだろう。

 

パッパッと自由に切り替えられるほど器用ではない。

それならば「出たとこ勝負」

 

「淡々とこなす」にしても、

「必死に食らいつく」にしても、

結局のところ、地道に積み上げていくしかないのだ。

 

環境が変わったことで、

前よりも「生きた心地」はする。

 

それをありがたく思いながら、

進めるところまで進むしかない。

 

そのうちにまた、

今の環境が「当たり前」になっているのかもしれない。

 

その繰り返しなのだ。