「人と目を合わさないで話す」ようになった

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人の心を覗くことを恐れてだろうか。

ここ最近は人の顔を見て話していないような気がする。


人と向き合うことに嫌気がさしたのだろうか。

人を信じられなくなったのだろうか。

 

どのようなフェーズを経てそうなったのかは自分でもわからない。

気が付くと「人への興味」が薄れているような気がする。


ある研究結果では「人に興味がない」という自覚を持っている人ほど、

人間関係を円滑に運んでいるらしい。


「なるほど」と思った。


人間関係の障害、

そのほとんどは「自意識」なのだ。


「人からどう見られるか」だとか、

「人と比べてどうなのか」だとか、

そういうことに囚われているうちにどんどんこじれていく。


「メンツ」を気にしなくなったら、

人間関係が円滑に運ぶのは当然のことだろう。


そういった意味で捉えると、私は「進化」していることになるのかな。


これまでは「誠実であること」にこだわりすぎていたのかもしれない。

もちろんそれは大事なことだけれども、

そこにこだわりすぎてストレスになっていたら仕方がない。


前に鍼灸院に通っていた時に施術中に先生から言われたこと、

 

話の流れで「女性からアプローチをされるも、その後は不誠実な対応をされて辛い」

そんなニュアンスのことを話した時だったと思う。


「ますをさんはね。まっすぐ人の目を見て話すでしょ。

こういう商売をしているけれど、そういう人はあまりいませんよ。

だから女性からすれば「信用できる」と思う反面、

少しくらいズルいことをしても許してくれると思うんじゃないですかね」


確かに私は「優しいだけが取り柄」だとか、

「優しすぎて怖い」だとか、

そんなことを言われることがある。


それは私が過剰に人の目を気にしていて、

「自意識過剰」だった証拠なのかもしれない。


私は紳士気取ったキャラクターを己に課していて、

その通りに振舞うことにアイデンティティを求めていた。


その結果、女性たちから食い物にされて、

「不誠実だ」「クソ女だ」と勝手にストレスをためている。

少し前に書いたけれど、私の誠実さは「見返りを求めたもの」だったのだ。


人の目を見て話さないようになる。


それはそれで色々と弊害があるもの、

そこもまたチューニングしていかないといけないのだ。


結局、人生は「これが正解」と思ったところまで行っても、

調整、調整で進んでいく。


「人の心」なんてものは移ろいやすいもの、

そしてそれは「自分の心」も例外ではない。


変わったのは「世界」か「自分」か。

そんなことはどうでもいいのだ。


「ほころびに気が付いてしまった」のならば、

そこから紡ぐ作業を始めればいい。

そのままにしておくと、どんどん崩れていく。


人の目を見るにしても、見ないにしても、

鼻を見るにしても、口元を見るにしても、

女性の胸元ばかりを見てしまうにしても、

「自分の心」や「相手との関係性」によって正解は違うのだ。

いや、正解なんて元々ないのかもしれない。


「自分の選択」を「正解」に変えることが、

人生の醍醐味なのかな。