「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「不安」を糧にして前に進んでいくタイプ

f:id:tureture30:20211005064901j:image

 

私は5年ほど前に一度メンタルをやってしまった。

診断は「パニック障害」だったが、定型のそれとは大きく違い、

「全般性不安」に近い症状に苛まれる。


もともと「細かいことを気にしないタイプ」だったと思うが、

それを機に「不安が強いタイプ」へと180度変わってしまった。


ストレスが溜まると後頭部がヒリヒリして休息を促すし、

のび太のように眠れていたはずなのに「眠れない夜」が増えた。


「前の私」から「今の私」に変わって戸惑うことばかりだったけれど、

ある程度は付き合い方を学び、それなりにやれるようになった。


「不安が強い」ということは何も悪いことではない。

その分、周到な準備をするようになるし、それを乗り越えた数だけ強くなれる。


「前の私」は考えなしに失敗しては落ち込むことが多かったように思うが、

「今の私」は取り組むことの精度が上がり、「失敗しても次に活かす糧にしよう」というマインドが形成されているように思う。


これは大きな進歩だ。


「今の私」になった直後の「無垢で真っ白な心」

たくさん傷つくことでかさぶたを作ってはそれを修復し、表面はゴツゴツするようになったけれど、その分、傷にも強くなったのかもしれない。


「前の私」のバイタリティやタフさに思いを馳せることはあるけれど、

私は「今の私」をそれほど嫌いではないようだ。


自分大好きナルシスト、

そういう性質を自覚しているけれど、それもまた悪いことばかりではないのだろう。


「不安」に直面したときの私、

些細なことであれば、その場でロジックを組み立てて対処法を考える。

反復演習の賜物か、その手のスキルにある程度自信はある。


だけれども「言いようのない不安」

「自分だけでは対処できない不安」と言い換えることができるだろうか。


時折、そのような「不安」にぶつかっては、「今の私」は積極的に周りに助けを求めて対処法を必死に探す。

あらゆる手を尽くしても解消しない類のものには、必要以上に労力を割いて煩悶し続ける。

客観的に「そこまで悩む必要なんてないのに」と思うこともしばしばだ。


だけれども、私は「悩むこと」をやめられない。

自分の「不安」ととことん向き合うことが癖になっているのだろうか。


「不安の9割は杞憂」だと言われるけれど、

一度メンタルをやってしまった影響か。

「不安」のほうが簡単には私のことを離してくれない。

私は私で「不安と向き合うこと」に「生きがい」を感じているのかもしれない。


そんな「私」と「不安」の関係性、


無駄にリソース使わされて辟易することも多いけれど、

振り返ると、そう悪いものでもないのかもしれない。


悩んだ分だけ人生に還元されている。

悩んだ分だけ覚悟に変わる。

そんな実感は多少ある。


「不安」は私を強くしてくれるのだ。


「眠れない夜を乗り越えるたびに強くなれる」

私は私にそう言い聞かせてきた。

そうして今では「眠れない夜」をやり過ごせるようになれた。


そうやって糧にしていけばいいのだ。

コントロールできない感情までコントロールしようとするからおかしなことになる。

世の中には、どう頑張ったところでどうしようもないことは山ほどある。


できるところからコツコツと歩みを進めるしかない。

一歩、また一歩と歩みを続ければ、気が付くとそれなりに高いところに辿り着いている。


そこで振り返って初めて、

人は自分の人生を肯定できるのだ。


楽して頂上に辿り着いたところで充実感はないだろう。

人生というものは一筋縄ではいかないのだ。


だからこそ、やりがいがある。