「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

その日暮らし、むしろ健全

f:id:tureture30:20211015065659j:image

 

なんだか「一日」を意識して生きている。

 

今日は何をしないといけないだとか、

何時までに何をしてだとか、

そういうことを明確に意識しているのだ。

 

割とそういう性質の持ち主だったけれど、

慣れない環境に身を置いている分、

余計にバッファを確保して生活しなければならない。

 

心に余裕がなくて、

時間に余裕があるようで余裕はなくて、

そんな不思議な感覚のまま日々が過ぎていく。

 

先週のこともあまり覚えていない。

下手すると数日前に事もあまり覚えていない。

常に目の前のことや先のことで頭がいっぱいなのだろう。

 

環境の変化というものは、

思った以上に私に変化をもたらしている。

 

疲れているが体調は悪くはない。

むしろ健全な生活を送っている気すらする。

 

前の職場では仕事以外で無駄なストレスが多かった。

そこから生まれる自己嫌悪にさいなまれている時間が多かった。

 

忙しくて大変で余裕がない。

それは悪いことではないのだろう。

 

余力があり、時間を持て余していると、

どこか不健全な考えを起こすようになる。

 

どこからか課題を課すようになるのだろう。

過去のことを掘り起こしてきたりだとか、

必要以上に今足りないものに思いを馳せてみたりだとか、

将来の不安ばかりを探し出す。

 

そのくせ、変に自尊心ばかり肥大して、

謙虚な気持ちは失われていく。

 

人間、挑戦していないとダメになる。

 

前の職場では、

人脈を見込まれて、定年を過ぎてから天下りのような形で入社した役員がいた。

 

社員よりよほど高収入の立場でありながら、

たまにアドバイスをする程度しかやることがなく、

時間を持て余しているように見えた。

 

それでも在籍するだけで会社にはメリットがあるのだろう。

そういうポジションの方がいた。

 

「自分もこういうポジションになれたら老後は安泰だろうな」

 

そんなことを思っていたけれど、

思い返してみるとその方は職場にいてもまったく楽しそうではなかった。

 

もしかしたらそれは「時間の浪費」

ある意味で不健全な立場なのかもしれない。

 

「労働の対価が過不足なくきっちりと支払われる」

それってものすごく健全なことなのだろう。

 

本人の主観なのかもしれないけれど、

対価が「少ない」と感じれば当然不満だし、

「多すぎる」と感じても満たされない。

 

「ちょうどいい」

そう思える仕事こそが適職なのかもしれない。

 

世間の感覚との乖離、

日本は先進国の中で珍しく賃金の上がらない国だといわれているけれど、

それと同時に物価も上がらない。

 

これも広く見れば「環境」だ。

そういう環境に長く居続けるとそれが「当たり前」になる。

 

今いる環境が「健全」なのか。

それとも「不健全」なのか。

 

そんなことを考える暇もないくらいに、

我々は働き続けているのだろうか。

 

環境を変えてみて、

いろんなものが見えてきた気がする。

 

それはそれでいい経験だ。

これから私はどのような道筋をたどるのだろうか。

 

それはわからないけれど、

今はこれでいいのかもしれない。

 

大変な毎日を送りながら、

何かを自分の中に詰め込んでいるのだろう。

落ち着いたらまとまったアウトプットをしたいものだ。

 

飼いならされているうちに、

そういう意欲すら失われないといいけれども、

 

今日も進もう。

一歩一歩と、