「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「自分はこういう人間だ」と定義付けることに必死

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誰しも「自分」というキャンバスに色を塗りながら生きている。


毎日何かを選択することを迫られて、

そのたびに「赤」か「青」か「黄色」か、

それとも新しい色を使ってみたいから「エメラルドグリーン」かって、

そうやって選びながら生きているのだ。


「油性の絵の具」で上書きすることもあれば、

「水性の絵の具」で過去に選んだ色と混ぜることもある。


納得いく出来の作品ができたならば、

「これが私なんだ」って、名前を付けて保存しておけばいい。


そうやって保存したフォルダを眺めては、

「自分はこういう人間だ」と何者かになれたように安堵する。


しばらくの間、納得のいく作品ができなかったら、

「停滞感」を感じて不安になる。


フォルダの内容を人と比べてさ。

どこか物足りないようだとまた不安になる。


そのうちに「納得していないもの」や「中身のないもの」でフォルダを埋め合わせて、

とりあえず「人と同じだけのものがあること」に胸をなでおろす。


そのうちにフォルダはどんどん雑多になっていき、

自分でもどこに何を置いたのかわからなくなる。


「自分はこういう人間だ」って決めたはずなのに、

本当にそうなのかどうかもわからなくなる。


上手くやっていくために、

いくつもの「ペルソナ」を使い分けてさ。

「醜いもの」でも「使用中」で削除できないからってフォルダの階層深くに押し込んでさ。

「都合の良いもの」だけを見える範囲に置いておく。


そうやって「自分はこういう人間だ」って悦に浸るのだ。


なんとも「都合の良いこと」で、

なんとも「ご都合のよろしいこと」で、


「醜さ」も自分自身、

消したくても消せない自分自身、


「虚像」ばかりを信じ込んでいるうちに、

やがて「虚像」はどんどん肥大化していく。


何に怯えているのかな?

どうしてそんなに必死なのかな?


嘘を本当にしなければいけないってことはさ。

自分の「弱さ」や「醜さ」をさらけ出すことよりも大変なこと、


「見せかけ」ばかり立派で中身はスカスカ、

それほど「惨めな人生」はないんじゃないのかな。

 

「自分らしさ」

 

本当に自分らしい人ってのは、周りからどうみられるのかをあまり気にしない。

周りに対して自然と自分のことを曝け出すことができるから、

 

定義づけることにばかり拘って、

自分をブランディングすることばかりに躍起になって、

立ち位置ばかりを気にして生きて、

 

なんだかさ。

疲れてしまうよ。

社会ってものはそういうところなのかな。

 

生きるってことが、

もっと自由にならないのかな。