所属する「コミュニティ」
そこでの立場が人生に与える影響は思いのほか大きいと感じたので、
そのことについて筆を執る。
私はどこの組織に属していても、大体「中の上」くらい。
時とともに一定の立場を確保して、
それ以上の高望みはあまりしない。
そういう性質を持っていると感じている。
「分相応」というものを理解しているわけではない。
「100点」を目指すためには「0から80点」に到達するよりのと同等か、
より多くの努力を要することを感覚的にわかっているからだ。
効率厨でコスパ大好き人間の私は、
トップだとかそういう立場に至るための努力や、
その立場で負う責任を煩わしく思っているのだろう。
かと言って地道にコツコツと積み重ねることは得意だ。
だから「時とともに」一定の立場は確保している。
野心がないわけではない。
「より多くの経験を積むこと」は人生を豊かにすると思っている。
「コミュニティのトップ」として組織を動かす経験も例外ではないだろう。
今の私になる前の私はもっと野心的だった。
がむしゃらに日々を過ごして、
昨日の自分よりも毎日成長すると息巻いていた。
結局のところ、そういう生活を続けられるほどの器ではなく、
精神的にやってしまって、多くを手放すことで「今の私」になった。
そこからは徐々に生活を取り戻していき、
小康状態を保っていたのだけれども、
転職をしたことでまた人生は動き出す。
あらゆることがゼロからのスタートだから、
追いつくだけでも大きな労力が必要だ。
自分で望んだ環境なのだけれども、慣れるまでは心が折れそうになることも多い。
感情の振れ幅が大きくなるのだ。
そうなると自然と人生そのものが活性化されていき、仕事以外の面でもメリハリがつく。
私が思っていたよりもずっと、転職というものの影響は大きかった。
グラグラした不確かな地盤の上でバランスをとりながら生きていると、他のことに考えを巡らせる余裕がない。
だから自然と思考は整理されて、不確実な未来に思いを馳せる時間は減っていく。
それはそれで課題と向き合っていないのかもしれないけれど、少なくとも考えすぎるということは少なくなった。
とにかく次々と新しいことが舞い込んでくる。
一日を乗り越えるのに必死なのだ。
これはこれで良いのだろう。
あたらしい世界に触れる充実感はある。
だけれども時折生まれる懐かしさ、
慣れた環境で一定の立場を確保して、自由に働いていた頃を思い出すことがある。
人はいつだって無い物ねだり、
停滞していることに耐えられないから、
「目の前にないもの」ばかりを求めているのだ。
今回の私の転職も無い物ねだり、
転職したらしたでする前を懐かしむ。
なんとも身勝手なものだ。
私は一歩を踏み出した。
その一歩は思っていたよりも大きな変化を私にもたらした。
踏み出す前に見えていた世界、
そして踏み出してから見えている世界、
それぞれを経験する今の私、
間違いなく言えることは視野が広がったということ、
人生は思っているほど長くはない。
時を刻むほどに時の流れは加速していく。
それは「こんなものだろう」と人生を分かった気になってしまうからだ。
わからないことだらけに身を委ね続けられることは、ありがたいことなのかもしれない。
その積み重ねの中で、人生は豊かになっていく。
今はまだ余裕はないけれど、
この環境を自分のものにした時に、私に見える景色はまた変わっているのだろう。
そう考えると、生きることが少し楽しみになってくる。
だから人は苦しくても、辛くても、歯を食いしばって生きるのかもしれない。
まだ見ぬ景色を追い求めて、
我々は生きるのかもしれない。