初めに明言しておくがガチムチなお話ではない。
どちらかと言えばタイトルに似合わずセンチメンタルなお話だ。
私が小学校高学年くらいの頃だろうか。
何が原因だったかは覚えていないけれど、友達の妹を泣かせてしまった。
「ごめんね」と謝る私に対して、年端もいかぬ妹ちゃんは衝撃の一言を述べる。
「ち○こ見せてくれたら許してあげる」
大きな声をあげてガチで涙を流しながら、
ハッキリとそう言うのだ。
「やつは本気だな」
同じく年端も行かぬ、社会の荒波なんてものの存在すら知るよしもない私にも、そのことは十分に伝わった。
ガチなやつだからタチが悪い。
友達は笑いながら「見せてやれよ」だなんて言ってくる。
どう切り抜けたのかは覚えていないけれど、私は貞操をしっかりと保ちつつ事を収めた。
子供の頃から貞操は固かったのだろう。
そのまま大人になってしまったのか。
そうして私は童貞をこじらせて、いや純潔を守り続けて今に至るのかもしれない。
もしもあの時に「見せていた」ならば、私のその後は変わったのだろうか。
露出することに目覚めてしまい、どこかでお縄にかかってしまっていたのだろうか。
それとも女性に対して今よりも積極的に性的なアプローチをできるようになっていたのだろうか。
もう随分前の話だけれども、元カノと2晩を共にして手を出せなかった私、
思えばスタートはこの幼少期の体験だったのかもしれない。
あの時に「見せなかった」から、私は今でも許されていないのだろうか。
「ち○こ見せてくれたら許してあげる」
そこまでわかりやすく積極的なアプローチ、
私はそれに対しても応えることができなかった。
世の女性たちの言葉ではない些細なアプローチ、
そういうものを向けられる機会はあるけれど、
それだけで行動を起こせるほどの勇気は持ち合わせていない。
いつまで経っても靡かない私に女性たちは愛想を尽かせて去っていく。
その繰り返しなのだ。
そろそろそのアプローチらしきものを向けられる機会も無くなってきた。
私も適齢期を過ぎてしまったのだろう。
チャンスはどんどん失われていく。
心の置き場所だとか、相手に対する誠実さだとか、
そんなことばかりに縛られている余裕はないのかもしれない。
あの日、
見せることができなかったから、
いつまでも許してもらえない。
私が「許される日」は来るのだろうか。
今度そういう機会があったらその場ですぐにパンツを下ろして、、、
って、もはやシャレにならない。
禊の機会は永久に失われてしまったのかもしれない。