長年の童貞経験からして、一つの仮説を打ち立てた。
それは「フェミニストはモテない」というものだ。
男性「フェミニスト」という人種は、
例外なく女性の権利を尊重するという立場をとっているはずだ。
その立場を取る限り、女性に対して一歩引いた姿勢になる。
「傷つけやしないだろうか」だとか、
「失礼に当たらないだろうか」だとか、
「セクハラで訴えられないだろうか」だとか、
必要以上に女性と距離を取ることになるのだ。
「恋愛工学」によると、
そういうスタンスの男は、女性からすると「非モテコミット」している形になり、
お金や優しさを搾取する対象にしか映らず、
恋愛に発展する可能性は薄いのだという。
男は女性から「優しくされること」に弱い。
おそらくそれは女性に対して「母性」を求めているからだろう。
そして女性は男から「守られること」に弱い。
男に対して「強さ」を求めているのだ。
経済的安定性を含めて、自分に安心安全をもたらしてくれるという点で「父性」を求めているのだろう。
最近はそのあたりにも変化が見え始めているのかもしれないが、
そうコロコロと本能的に大きく変わるものではない。
おそらく多数派は上記のような傾向にあると推測される。
そうなると冒頭に挙げた私の「フェミニストはモテない」説、
かなり有力な説のように感じられる。
私は自称フェミニスト、
多くの女性たちから「優しい」と持て囃される残念な男だ。
柔和な態度から自然と飛び出す鋭利なエロティシズム、
そういう、どこかオスを感じさせるような武器を身につけなければならないのだろう。
逆説的になるが、おそらくモテる男というのは「優しい」
だけれども、それは「優しく振る舞うことが上手」ということなのだ。
うまいこと懐に入り込んで油断をさせつつ、
心を開かせたところで相手に異性を感じさせる。
そこまでもっていかないと難しいのだろう。
初めから武器をちらつかせたら女性は逃げてしまう。
だから懐に入り込んでから刺す。
逆に女性の場合は、おそらく武器を見せつけたほうが効果的だ。
男はそれが武器だとわかっていても、その武器に引き寄せられていく。
あとは近づいてきたところを思いっきり刺せばいい。
「恋愛」というものは「狩り」に近いものなのだろう。
だから「相手の権利がどうだ」とか、
「相手を尊重せねばならない」だとか、
そういうものは必要ない。
特定の相手と一緒になって、法的な制約に縛られてから存分にジェントルマンでも気取っていればいいのだ。
互いが互いを評価して、
互いが互いを切り捨てて、
それはさながら戦場だ。
戦場にいることに気が付かないで、
武器を持たずに平和を説いていたところで、
本能に支配された獣たちの耳には届かないのだろう。
だから「フェミニストはモテない」
おそらくこの説は正しい。