原作小説は高校の時に読んだ記憶がある。
ネタバレは避けるけれども、なんとも衝撃的な結末が印象に残る作品だった。
昔から隠れた名作だと言われ続けてきた作品、
満を辞しての映像化、
動員100万人の大ヒットとなったことも十分に頷ける出来だ。
三部作の第一作目、
序章というところだろうか。
映画館で観たいとも思っていた作品だけど、6月公開にも関わらず早くもAmazonプライムに登場、
驚きとともに拝聴した。
その息子であるハサウェイ・ノア、
彼を主人公とした作品がこの『閃光のハサウェイ』だ。
その主人公のハサウェイ、
父と同じく連邦政府の軍人として働くが、裏では連邦政府に弓を引く革命組織を率いている。
「二律背反」する信念、
ミステリアスな少女との出会い、
ストーリーは加速度的に進んでいく。
むぅ、やはり原作が良い。
謎の少女ギギ・アンダルシア、
初登場での掴み、無垢にして妖艶なキャラクター、
最高に魅力的な「傾国の美女」だ。
そして、その演出が秀逸過ぎる。
彼女の仕草や危うさに惹きつけられていく男たち、
今後のストーリーでは、その根源的な生物としての課題、
人間という生き物の孕む矛盾をさらに浮き彫りにしていくのだろう。
その危うさの中に面白みがある。
それだけでも見る価値のある作品だ。
「信念」と「目の前の女性」の間で揺れる気持ち、
理性的だったはずのハサウェイに変化が生じる。
蘇る過去の苦い記憶、
革命組織の指導者も「うら若き青年」なのだ。
正義と悪は表裏一体、
見方によっていくらでも変容する。
信念に殉じるためには、多くの人を導くためには、何かを犠牲にしなければならない。
人として大切な感情を切り捨てなければならない。
人の上に立つものの前に立ちはだかるパラドックス、
そこに葛藤する若き指導者、
使い古された表現だけれども、永遠に解決することのできないテーマだ。
「正解なんてものはない」
それでも何かを変えなければならない。
だから己の信じる道を仲間たちと突き進む。
ガンダム全体に通じるテーマ、
「明確な正義も悪も存在しない」のだ。
それぞれの想いがあって、共に戦った仲間と袂を分かつ、
そして次に会うときは敵同士、
「戦争」の火種は、大きなうねりに巻き込まれて、それぞれの立場や想い、体裁や権力や集合的無意識やら、引くに引けなくなるところから生まれてくる。
サイコパス以外は、誰も戦争なんてしたくないのだ。
それでも人は戦争に走っていく。
民意を煽り、ポピュリズム的に支持を集める中で、それを飼い慣らすことができなくなり、その民意に踊らされていく。
殺人の過程を分業化したら罪悪感が薄まることと同じ原理だ。
そうやって人類は争うことをやめられずに今に至る。
カール・マルクスの目指した通り、利権を完全に平等に分配することができたならば、争いは起こらないのだろうか。
いや、おそらくそんなことはない。
「パンとサーカス」のサーカスの部分、
人には「生きる意味」が必要なのだ。
若ければ若いほど、それを求めて無茶をやらかす。
「おいた」が過ぎると命を落としてしまうことにもなりかねない。
そんな「若さゆえの過ち」
少なからずガンダムの世界の住人たちは、
シャア・アズナブルの亡霊に取り憑かれている。
「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえの過ちというものを」
人は「信念」やら「生きがい」
そういうものによって人生を美談にしたがる。
その結果として、殺人というあってはならない行為までも正当化できてしまうのだ。
例外はあるけれど多くの場合、
「独裁者」が怖いのではない。
怖いのは「民意」だ。
話は逸れたけれど、振り返るとそんなことを考える、そんな作品だった。