私はすでに「結婚しない男」というフェーズからは脱したと自覚している。
自ら選択して「結婚しない」のではなく「結婚できない」のだ。
女性からはそれなりに需要はあるようで、
少なくとも容姿やコミュ力を含めたカタログスペックでは、
「会ってもいい」と思われる程度は有しているようだ。
その証拠にここ数年は友人からの紹介やアプリで、
17人の女性たちとデートを重ねてきた。
だけれども、誰とも関係が先に進むことはなかった。
そうなってくると「私の問題」
そういうことになるのだろう。
私は「自分のやり方」にこだわりすぎているのかもしれない。
少しでも相手の態度が気になれば「追うこと」はしない。
それに私のほうも「追いかける」ほどお熱になった相手とは巡り合えないと思っている。
これだけ出会いを重ねてもたった一人しかいなかった。
そもそもこの年でそういう人との出会いを期待していること自体が、
もはや「高望み」なのだろうか。
「素敵な人」ほど早い段階から誰かと一緒になっていく。
私だってその中からあぶれた「残り物」なのだ。
私はきっと自分には見合わないほどの相手を望んでいるのだろう。
それでは「結婚できない」のも無理はないな。
いったい私は女性に何を求めているのだろう。
自尊心を満たすための道具としてみているのだろうか。
ライフステージを先に進めるための道具だろうか。
お互い様かもしれないけれど、
もはや「結婚」が目的となってしまって、
フィーリングどころか条件ばかりを気にしている気がする。
20代の私、
付き合った彼女は特別きれいなわけでもなく年上だった。
彼女とはうまくいかなかったけれど、
漠然と「同じ年くらいの普通の気が合う女性」と一緒になるのだろうなって、
そんなことを考えていた。
30代になってからの私、
変にチャンスが多かったばかりに、
無駄にハードルはあげられて、
相手の容姿と年齢を気にするようになってしまった。
自分の年齢が上がるほどに、
チャンスは少なくなっていくはずなのに、
期待値はそれほど下がってはくれないのだ。
困ったことになってしまった。
これでは私は「私の理想の相手」と結婚するために、
「結婚したい」ようなものだ。
そんなチャンスはほとんどないというのに、
おまけにセンサーは壊れているから、
ここ最近は女性に対して「いいな」と思う気持ちすら湧いてこない。
それどころか若い女性を見ると「憎しみ」や「蔑み」といった感情が湧いてくる。
おそらく「受け入れてもらえない」という現状から、
私はダークサイドに落ちる寸前なのかもしれない。
「酷い裏切り」にあってからしばらくは、
別のチャンスをつかもうと躍起になっていた。
だけれどもどの女性も大なり小なり、
姑息でエゴイスティックにうまいこと立ち回って、
「条件のいい相手」を獲得しようと立ち回る。
そんな姿に「嫌悪感」を募らせているうちに、
その「嫌悪感」は「個人」から「女性」という種族に対するものに広がっていった。
それに歯止めをかけようと、
ジェンダーの問題点を「チーム対抗戦に持ち込むことに元凶がある」だなんて論じて、
「男チーム、女チームに分けるのをやめよう」だなって主張してきた。
だけれども、私の心はその主張通りには動いてくれない。
女性に対する、いや「若い女性」に対する嫌悪感は募るばかりだ。
「結婚できない男」
もはや私は手遅れなのかな。
「嫌悪」しているうちは手放せていない証拠、
私はまだ「真実の愛」なんてものの存在を信じているのかもしれない。
「肥大化した自意識」
傷つけられた自尊心を過保護に慈しんできた結果、
私の自意識はとんでもない方向へと歩みを進めていたのだろう。
私は私を守るために「女性」を蔑んでいる。
そうやってなんとか「自尊心」を保ってきた。
これでは「結婚」なんてどう頑張ってもできるはずがない。
目の前の女性を「疑いの目」で見続けているのだから、
少しでも不誠実なところがあれば「こいつもか」ってさ。
そうやって「くそ女」のレッテルを貼り続けている。
初めから野心むき出しで、あざとさ全開でぶつかってくる人はいないのだろうか。
いっそのことそのほうが清々しいくらいだ。
自分で食べられるくせに口を「あーん」と開けて、
私にご飯を食べさせてくれとアピールしてくる未就学の姪のあざとさは清々しい。
ここ最近を振り返ると、そういうあっけらかんとした相手と相性がいいのかもしれない。
私はわかりやすい「わがまま」に振り回されたいのだろうか。
だから「都合よく扱われる」
その結果として裏切られる。
私には結婚は無理なのかもしれないな。
それどころか交際にまで発展することはないのかもしれない。
私は女性を嫌いになりすぎてしまったのだ。