今の自分に満足していない。
今の立場に満足していない。
だから人は「変わりたい」と思う。
そのために行動を起こしてみて、
そのフィードバックを「価値観」として還元していく。
その繰り返しの中で、
本来であれば少しずつ「理想」に近づいていく。
だけれども、
常に「変わりたい」って、
そうやってもがいているってことはさ。
「理想」が明確じゃないんじゃないのかな。
目的地をコロコロ変えていたら、
いつまで経ってもそこに辿りつくことはできない。
北に向かっていたのにやっぱり南、
引き返しては見たけれど南ではないかもしれない。
結局は元居た辺りをウロウロしているだけなのだ。
運動量は稼いでいるからさ。
何となく「生きたつもり」になっていて、
それなりに充実感はあるのかもしれない。
だけれども「目的地からの景色」
その景色は、彷徨い続ける間に見える景色よりも、
明確に未来への指針を指し示してくれるはずだ。
「変わりたい」「変わりたい」ってさ。
そんなことはみんなが思っているんだよ。
あとは「変わりたい方向」を決めたら、
とにかく思考停止して「満たされるところ」まで突き進むこと、
そこで一定の成果を上げることができれば、
それが「実績」として人生に積み上がっていく。
マイルストーンを置くことができるのだ。
何も積み上げないでさ。
ウロウロ、ウロウロと「生きがい」求めて彷徨うゾンビたち、
人に胸張って語れる実績の一つくらい作ってから迷えばいいのに、
「社会」はさ。
余程のことがないと特別扱いしてはくれない。
自分では自分の人生を特別だと思っているけれど、
「他の人」から見たら全くそんなことはない。
自分で掴み取るしかないのだ。
結局、人生はすべて自己責任なのだ。
どんなに「報われなかった」としても、
「報われない状況」から抜け出さなかったことは自己責任、
年ばかり重ねてさ。
やるべきことをしてこなかったのは自己責任、
今更戻ってやり直すことはできないんだからさ。
今から「望む将来」に向けて歩みを進めるしかない。
「満たされない現状」が当たり前になって、
「現状維持」にばかり浪費していたら、
「満たされないまま」人生が終わってしまう。
とにかく「満たされるまで」続けるしかない。
「生きる」ってことを主体的に、能動的に、
続けるしかないんじゃないのかな。
人生もきっと、
「諦めたらそこで試合終了」なのだ。