感染者数が過去最多を更新し続けているが、
どうやら今回の蔓延防止等重点措置では、参加者全員が検査での陰性を証明できれば、認証された飲食店での5人以上の会食は許可されるらしい。
そもそも、これほど感染者の数字が伸びている中で、大規模な宴会をやろうとする人がどれほどいるのだろうか。
ほとんどいないだろう。
それに、わざわざ飲み会のために陰性証明を取るような人はいない。
だとすれば、このルールによって得をするのは誰なのか。
おそらく、これは政治家たちが会食をしても叩かれないためのルールだ。
ここから論じる内容は、上記の私見を元に書くものだが、もしもそのような意図でこのルールが作られたのであれば、国民は心して政治を監視せねばならないと感じる。
そんなに会食が必要なのだろうか。
確かに対面でないと伝わらないことはある。
重要なことを決めるのであれば、直接会って話がしたいという気持ちもわかる。
だけれども、時代は変わってきているのだ。
テレワークは推奨されて、社内会議どころか、商談や契約締結すら対面することなくされる世の中になった。
それを主導する立場であるはずの政治家たちは、年寄りが多いからか、それに対応する努力をしないのだろうか。
長いこと国のルールを決める立場にいると、自分たちが変わるよりも「ルール」の方を変えようとするようになる。
もしもそうであれば、それはとても危険なことだ。
今回はたかが会食かもしれないけれど、政治家たちの間にそのような思考が蔓延っているのであれば、もしかしたらそれは新型コロナウイルスよりも恐ろしいものなのかもしれない。
人が変わろうとすることは大変なこと、
だけれども、人は変わり続けないと生きてはいけないのだ。
歳とともに環境や立場は変わり、それに適応しなければならない。
多くの人はそうやって生きている。
80を過ぎても、当たり前のように死ぬまで政治家を続けようとする人たち、
立場にしがみつくあまり、環境の変化に対応することのできないダメ人間に変わってしまうのかもしれない。
自分たちが変わろうとするよりも、ルールを変えることを優先する。
これは相当ヤバい思考だ。
大きな立場であればあるほどヤバい。
国民から選ばれた国の代表でもある政治家たちだ。
国益のためならば何をしても構わないということになれば、国民の財産や人権は蔑ろにされる。
火種は小さなところにあるのだ。
たかが会食かもしれないけれど、もしもこれが政治家たちのために決められたルールならば、国民は「それはおかしい」と主張しなければならない。
私の気がつかないところで、たくさんこういうことは起きているのだろう。
「ルールを決める側が得をするようにできている」
それはどうしても変わらないことなのだろう。
志を持って政界に入ったはずの人たちも、時とともにその志を失ってしまうのだろうか。
世界的なパンデミック、
これを教訓にしないまま、時代は流れていくのだろうか。
政治に「無私」というものが求められているのかもしれない。