転職をしてからは、誰もが聞いたことのあるような日本を代表する企業の社員と働く機会が増えた。
だけれども、一緒に仕事を進めていく中で「んっ?」と思う場面が少なくない。
詳しく述べることは控えるが、
取り組んだ方が明らかにパフォーマンスの上がることでも、「面倒だからやらない」と、遠回しに匂わせてくるのだ。
「保守的」だとかそういうレベルではない。
契約関係の課題があるとかそういうことでもない。
単純に面倒くさいから、
おそらく立場は保障されていて、余程のことがなければクビになることもないのだろう。
おまけに所属するだけで給料は高く、福利厚生は充実している。
だから「最低限やるべきことだけをやればいい」
波風立たさずに働き続けることが最優先、
そんな主義が見え隠れする。
ある程度のキャリアを積んでいるはずなのに、いつも第一声は「やらないための言い訳」から始まる。
おそらく彼はそういう働き方を続けてきたのだろう。
だから、何か課題を突きつけられると、それをどう回避するかを真っ先に考える。
努力をするべき時期、
おそらく彼は学生時代に努力をしてきたのだろう。
だから、おそらく学歴は高く大企業に就職した。
知らんけど、コネということでなければそういうことになる。
そして、そこで何らかの事情があり、仕事で努力することをやめてしまった。
病気が理由かもしれないし、家庭の事情かもしれない。
趣味ではものすごく努力をしているのかもしれない。
努力のベクトルは「人それぞれ」と言えばそれまでだけれども、何だかその姿を見て悲しくも思う。
高い給料をもらっているのだから、それに見合う働きをする努力だけはしようよって、そう思う私は多様性を認められていないのだろうか。
政治家に対する当たりの強さも、突き詰めればそういうことにつながる。
無免許で交通事故を起こしながら、憮然として「何でここまで叩かれなければならないの?」って態度を崩さない議員がいたけれど、責任を果たさない彼女は叩かれるべきではないのだろうか。
どこかで勘違いしてしまうんだろうね。
「自分が得た立場は自分の力で勝ち取ったものだ」ってさ。
だけれども、心の奥底では実力不足を痛感しているのだ。
そういう人ほど立場を守ることに必死になる。
なりふり構わずにしがみつくのだ。
立場に見合うだけの実力があれば、そこにしがみつく必要などないはずだ。
どんなに日本が「ぬるい国」だとしたところでさ。
結局は実力がないと悲惨なことになる。
惨めな思いをすることになるのだ。
だから、そうならないために努力をする。
それは簡単なロジックだ。
実力に見合わない立場の人を叩きたがるのが社会だ。
今は見逃されているかもしれないけれど、社会ってやつはそれを見逃し続けてくれるほど甘くはない。
どこかで捕まるかもしれない。
根本的に解決するためには実力をつけるしかないのだ。
結局、無駄な努力なんてものはないのだろう。
どのような経験からも学びはある。
それをしっかりと糧にすること、
その繰り返しの中で実力は身につくのだ。
人生、どこかで努力をしなくても良くなるということはない。
死ぬまで努力は必要なのだ。