ある記事を読んで、
「なるほど」と思った言い回し、
信頼を得るために差し出せるもの、
それは「相手に対する興味・関心」だ。
素直に頷ける一言、
非常にうまく言語化できているように感じる。
「信頼を得るため」
持論として、
そのために最も有効なのは、
「いい意味で期待を裏切ること」
私はそう考えている。
そして「期待を裏切る」には、
相手の期待がどこにあるかを的確に捉える必要がある。
余程のカリスマ性があれば別だけれども、
相手のことを知らなければ、
良い意味で相手の心を動かすことは難しいのだ。
積み上げた信頼、
信頼を集めることは大事だけれども、
積み上げすぎるのも困りものだ。
「信頼」が「信仰心」みたいになってくると、
しっぺ返しを食らうことにもなる。
だいぶ前の話だけれども、
当時、気にかけていた後輩との話だ。
事あるごとにアドバイスをして、
着々と信頼を積み重ねていたのだけれど、
ある時、私のアドバイスを起因として失敗したことがあった。
後輩の私を責めるような口ぶりに、
若かった私もついカッとなってしまい、
彼の自信をバキバキにへし折ってしまった。
その後は言わずもがな、
口もきいてくれなくなった。
今思えば私も冷静に対応して、
非のあるところは謝罪すればよかったのだけれども、
後輩くん、
ある意味で当時は私に過度な期待をしていたのだと思う。
「ますをさんの言うとおりにすれば間違いない」って、
そんな様子が見て取れたのだ。
だから私のアドバイスで失敗したことで、
期待が大きかった分、それが絶望に変わったのだろう。
思えば私も当時はかっこつけていた。
周りに「弱さは見せない」って粋がっていたのだ。
さて、
「相手への興味・関心」の話だったか。
「心からの信頼」
パフォーマンスではなくて、
「心から」相手を信頼すること、
それには相手に対する「純粋な」興味・関心が必要だ。
自分の派閥を増やすだめだとか、
自分の勢力を拡大するためだとか、
自分をよく見せるためだとか、
打算に対しては打算が返ってくるのだ。
私はきっと、
後輩に対して「打算的」だったのだろう。
だから「飼い犬に手を噛まれた」ように思い、
カッとなってしまった。
「相手のためになる行動」
相手のことを思っていれば、
真っ先にそれを考えたはずだ。
相手の「何に」興味・関心を持つのか。
ただ単に「使える」という視点なのか。
それとも「人間性」なのか。
ちょうどブログの連続更新を始めたころからの目標、
「人を道具として見てしまう弱さの克服」
私はそれを掲げている。
振り返ると「不誠実な対応」をたくさんしてきた。
私が女性からの不誠実に晒されるのは因果応報なのかもしれない。
過去の弱さを見つめながら、
時には割り切って、
時には親身になって、
私の両手に収まる範囲で、
誠実に対応したいと思う。
それがきっと、
「信頼」につながるのだ。