例え投稿しなかったとしても、
ブログの記事を書き終えた時点で、目的の半分は達成しているのだ。
いや、むしろ目的のほぼ全てを達成しているのかもしれない。
アウトプットすることで頭の中は整理される。
「自分はこんなことを考えて生きていた」
それを形に残しておくことで、一貫性を保つことができるのかもしれない。
投稿することで何かしらのレスポンスがあり、それをモチベーションとして投稿を続ける。
それも大事な要素だけれども、レスポンスの方を求めるようになってしまったら、おそらく書き続けることをやめてしまうのだろう。
私のブログスタイルは毎日雑記だから、誰かに何かを伝えたいというよりは、自分の思ったことを記録していくことがほとんどだ。
テーマは「私と世界との関わり方」
それは開設当初から一貫して変わっていない。
頭の中に浮かんでは消えていく無数の言葉たち、
それを書き留めて形にする。
その繰り返しが私のブログなのだ。
だから、言わば私のブログは私の人生、
それを凝縮したものと言っても過言はないのだろう。
もう少しでブログを開設して4年となる。
その間の私の人生は激動だった。
それはブログを始めたことによる効果なのか。
それとも、変化を予期してブログを書かざるを得ないと本能的に察知していたのか。
少なくとも感じることは、
私は「書き続けること」で生かされてきたのかもしれない。
という事だ。
「人は書かざるを得ないから書く」
村上春樹さんが『回転木馬のデットヒート』の中で綴った言葉だけれども、これだけブログを書き続けていると、少しは実感として受け止められる。
「書くこと」が目的だったのだ。
そう考えると妙に腑に落ちる。
私のようなスタイルでブログを続けている方は、転機と共に卒業していくことが多い。
急にパタっと更新が止まったり、休止の告知がなされたり、そうやって多くの人が卒業していった。
私にはまだ、書くことが必要なのだ。
だから書き続けている。
それだけのことなのかもしれない。
いつまで書き続けるのかはわからないけれど、
続く限りは書き続けたい。
「言葉」の枯渇は「創造性」の枯渇、
私の創造的人生は、どれだけの時を残しているのだろうか。