久々の書評だ。
筆を執りたくなるくらいに良く書けた作品だと思う。
だが、著者の人柄と同じように、この作品は人を選ぶ作品なのだろう。
レビューには「嫌いだ」という声が並ぶ。
古市憲寿さん、
名前だけだとピンとこないかもしれないが、とくダネに出ている私と同年代の社会学者だ。
ニヒルで神経質な雰囲気から嫌いなものは嫌いだとバッサリと切る。
多くの敵を作るタイプ、
同年代ということもあり、私は予てより彼に注目していた。
そして著書を読み、私と彼とは「同じ時代を生きてきた」のだ、ということを実感する。
私も度々記事で触れてきたが、宮崎駿『風立ちぬ』での「創造的人生の待ち時間は10年」という話、
この言葉は私にとって少なからず影響を受けた言葉だ。
だから作品の中で、この言葉が出てきたことに驚きと共にシンパシーを感じた。
そして、生死感、
「来世があると思って生きた方が、人は合理的に生きられる」という言葉、
これは常々人に語る私の持論と全く同じだった。
「来世」イコール「希望」
みんな少なからずそう思って生きている。
信仰心もないのに初詣を行うことからも推察できるように、特に日本人は基本的にスピリチュアルな感性を持って生きているのだ。
だから「異世界転生もの」が広く受け入れられる。
私を新たな発見に導く言葉もあった。
「死体からはあまりにも無を感じるがために、人は魂という概念を作り出さざるを得なかったのではないか」
この言葉には思わず唸った。
緻密に練られており、村上春樹氏を気取ったような言い回しや性描写が好みの分かれるところなのだろうけれど、
私に言わせれば、この作品はあらすじなんてものは、あってないようなもの、
著者自身の「人生観」を小説という形をとった論文として発表したものなのだろう。
そう考えると非常に正統派として純文学をしている作品だ。
平成の始まった日に生まれた主人公は「平成(ひとなり)」と名付けられた。
そして彼は、平成最後の日に自らの安楽死を望む。
死というものを身近でいて遠くに感じ、遠くにあるようで身近に表現する。
あらゆる角度から本質に迫ろうとする試みは、彼の社会学者としての知識が遺憾無く発揮されていると感じる。
芥川賞候補になった時に、著者が著名人だから「賞の安売り」と騒がれていた記憶があるけれど、それはとんでもない誤評だ。
受賞は逃したものの、それだけの作品であることに疑いようはない。
どこかスタイリッシュを気取る外連味はご愛嬌だろう。
純粋に文学として力のある作品だと感じる。
私と著者の感覚が近いものだから、下駄を履かせているのだろうか。
それは私にはわからない。
あとは皆さんが読んだ上で評価してほしい。