「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

延べ3年半にわたる「婚活」を振り返って

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なぜ私は「結婚」をしたいのだろうか。

そこに繋がることを期待して表題について記載する。

 

コロナ前までをメインに実働1年ほどの間に20人近くの女性と出会いを重ね、

そのほとんどと1on1のデートをした。

 

10個下から2つ年上まで、

集中していた時期には毎週のように別の女性と会っていた。

とにかく会いに会いまくっていたように思う。

 

それほどまでに婚活にお熱だった私、

何が私をそこまでさせたのだろうか。

 

年齢的な焦り?

ライフステージが先に進まないことに対する憤り?

それとも、単純に「寂しさ」が私を駆り立てたのだろうか。

 

私には割と「理想主義」的なところがある。

思い描くビジョンに向かって努力をしていくタイプ、

 

30歳前後で結婚をして子供が二人、

理想の家庭像として漠然と描いていたビジョンだ。

 

自分でいうのもなんだが、

私は童貞だがモテないわけではなかったし、

自然と結婚できるものだろうと思っていた。

 

しかし、不誠実なクソ女に肝っ玉を引き摺り出されたことを契機に、結婚に対する焦りや憤り、女性に対する不信感や女性の精神的な不潔さ、

そういうものをモロに一身に受けて火がついたように思う。

 

結婚するためには努力が必要なことを知った。

わかりやすい「ボーイミーツガール」など訪れないのだ。

 

あっても「匂わせ」のようなやつ、

女性から明確な言葉をくれるようなことはめったにない。

何度もチャンスを逃しながら、私の自尊心はすり減っていく。

 

不誠実な目にもあって、不信感は募る。

「優しさ」を搾取されて終わった恋もあった。

ある意味では、女性に対する反骨心で出会いを重ね続けていたのかもしれない。

 

「女性に対する反骨心」

 

別に向こうは敵視などしていない。

出会うたびに「相手の不誠実さ」のかけらを拾い集めては、

「ほら見たことか」と自己肯定のための糧にする。

そうやって、今にも崩れてしまいそうな「オスとしての自尊心」をつなぎ留めておく必要があったのだろう。

 

だから私は前に進むしかなかった。

「不誠実なあいつ」よりも素敵だと思える女性との出会いを求めて、

ひたすら女性と会い続けるしかなかったのかもしれない。

 

終わりの見えないデスマーチ

そこに身を投じて「先に進んでいるつもり」になることが「今やるべきこと」

自らにそんな課題を課す。

 

心も体もどんどん疲弊していった。

私にとっての婚活は、一番の弱点と向き合う作業だ。

謎の痺れや腹痛など、ストレスが身体の不調へと顕在化する。

夜中にめまいがして倒れて起き上がれず救急車を呼んだこともあった。

 

日がな複数の女性たちとメッセージのやり取りを続ける「すけこまし」

プロフィールには「誠実」そうに見える看板を掲げながらも、裏では「不誠実」この上ない。

そのギャップにも蝕まれていく。

 

「理想」を目指して活動しているはずなのに、

「理想の自分」からはどんどん遠ざかる。

 

振り返ってみると、楽しかったのは最初だけ、

私にとっての婚活は「苦行」と化していた。

 

コロナ禍になってからも5人ほどと機会があっただろうか。

少し心穏やかに「期待」をしないようにしながら会っていた。

アプリは休止して共通の知り合いからの紹介がメインとなる。

 

転職をしてからは全く動いておらず、

記事にも現れていたと思うが、「このまま独身で一生を終えることになるのかもしれないな」と考えることが増えた。

 

環境は大きく変わり、以前と比べて心理的に余裕はあまりないものだから、動き出すにも億劫に感じる。

それに「忙しい環境」は、私の感じる停滞感を拭ってくれた。

 

友人から紹介の話が舞い込んでも、

「気持ちが向かない」と断りを入れることもあった。

 

出会いを求めながらも出会う余裕がない。

変化の中で、さらなる変化を受け入れる余裕がなかったのだ。

 

そんな状況で持ち上がる1つの出会い。

私は今その渦中にいる。

いくら考えても断る理由が見つからない。

 

相手の気持ちももちろんあるが、

あとは私が腹を決めるだけなのかもしれない。

 

いったいこの3年半の末にゴールテープは用意されているのだろうか。

テープを持つ係のスタッフは待ちくたびれているだろう。

 

そして、私は今回こそゴールに辿り着けるのだろうか。