順調にやり取りが続いている。
にやけたり、引き締まったりと表情の忙しい毎日だ。
相手のことを知るために、相手が好きだと言う作品に触れてみる。
「自分の時間を捧げます」という合図、
それを伝える時点で相手に感想を伝えることが確定するわけだから、自分の感性に自信がないとできない。
そして表面的に繕うことの難しい行為でもある。
だから、私はそこに「誠実さ」が宿ると感じるし、ナルシスト気質の私だ。
思い返してみると、私はよくこの手法を使っていた。
自分にとっては、相手と向き合う姿勢の一つだったのかもしれない。
今会っている女性からのアプローチ、
話の中で私が口にした作品を読みだしたようだ。
そんな報告を聞いて、むずがゆさを感じたものだから、あまりうまく喜びを伝えることができなかった。
「やはり、どこか価値観が似ているのだな」
そう感じるのには充分な一報だった。
目の前の相手にとことん向き合おうとするし、
器用そうに見えて不器用だったりもする。
その武骨で真っすぐな異性への接し方は、
私のそれと大きく重なる。
将来のこと、
こればかりはどうなるかわからないけれど、
今のところ彼女と私の関係は順調に進んでいるようだ。
接する回数が増えるたびに、
私の中で「先に進まない理由」が消えていく。
いくつも積み重ねてきた「女性に対する不信感」が、
徐々に削り取られていくような感覚がある。
このまま時を重ねると、歪な形のフィヨルドが形成されてしまいそうだ。
この人と巡り合うために、
これまで私の恋愛は「奇跡的に」うまくいかなかったのかもしれない。
そんな「期待」が頭をかすめるたびに、
私の中の別の私が「期待しすぎるな」とたしなめる。
今まで散々痛い目にあってきたじゃないか。
人の気持ちなんて不確かなもの、
明日には180度違うかもしれないのだ。
私の気持ちだって、相手の気持ちだって、
いつどこに向くかはわからない。
だから…期待しすぎてはいけないのだ。
また、大きく傷つくことになってしまう。
相手に「理想の女性像」を重ねることで、どんどん期待を膨らませてはいけない。
私にはそういう歪なバイアスがある。
彼女は生身の人間で、彼女の人生を歩んできた先にある姿がいまの彼女なのだ。
私の理想なんかが遥かに及ばないところもあるだろうし、少し違うと思うところも当然ある。
等身大の彼女を受け止める覚悟、
私に必要なのはそういうものなのかもしれない。
私は恋愛において、
空想世界で生きすぎていたのだ。
頭の中お花畑で夢みがち、
妄想を膨らませすぎてはいけない。
自然体で、ありのままで、
お互いがお互いを受け止めた先にあるもの、
それが「結婚」というものなのだろう。