件の発言にて炎上された女性プロゲーマーの方がいたけれど、そもそも「人権がない」ってどういうことだろうか。
少し疑問に思ったので考察してみる。
「人権」とは文字通り「人としての権利」だ。
wikipediaによると「誰もが生まれてきた段階で持つ国家権力に侵されることのない権利」というようなことが書いてある。
ということは、だ。
「人権がない」ということは「生まれていない」ということになる。
件の発言は「身長が170cmに満たない男は生まれてきていないのと同じこと」
すなわち、存在自体を全否定することになるようだ。
彼女が言うには、同じように胸のサイズがAカップの女性にも人権がないらしい。
なるほど、面白いことを主張する。
彼女の中では日本人の半分近くは存在しないことになるのだろうか。
それは冗談として、
ブログに何度も書いている表現だが、この手の病理は「自尊心を満たすために他人を自分よりも下に置きたがる」
そんな心理にある。
私に言わせれば、
これは下の下の自尊心の満たし方だ。
彼女は私からすれば端正な顔立ちに見える。
しかし、おそらく彼女自身にとっては自らの容姿にコンプレックスがあるのだろう。
もしくは、過去に低身長の男性から酷い目に遭わされたと感じる経験があるのか。
だから「低身長の男性」というカテゴリ全体を敵視することで、彼らを下に見ようとする。
そうして相対的に自分の価値をあげようとしているのだ。
「怒り」や「憤り」はコンプレックスの裏返し、
人が何に対して「いきり立つのか」で、その人の抱えるコンプレックスは見えてくる。
半分タレントのような仕事をしていると、他人のジャッジは嫌でも厳しいものになる。
そんな風評に晒されているうちに、自らの容姿に自信を持てなくなる。
初めは容姿にも自信があったのだろう。
そしてゲームの腕も確からしい。
そうやって得意分野で食べて行けるまでには相当の努力をしてきたはずだ。
それでも人がルサンチマンに打ち勝つのは簡単なことではない。
本業以外のところで判断されることに対する憤りがあったのかどうかは知らないけれど、自らと同じように、画面の向こうにいる人もまた、コンプレックスを持った人間なのだ。
彼らにしたって、コンプレックスを刺激されればいきり立つ。
それは当たり前のことだ。
これからの時代は「想像力」を鍛えなければならないのだろう。
相手の気持ちや立場を想像する力、
それが「想像力」だ。
薄くて広い関係性、
そういうものはどんどん広がっていく。
自分は友達だと思っていても、相手はそう思っていないかもしれない。
逆もまた然りだ。
人は簡単に人を殺すことができる。
「キャンセルカルチャー」なんて言葉が流行り出したけれど、
体に刃を突きつけられることはなくても、
心には常に刃を突きつけられているのだ。
恋愛バラエティに出演していた女性が中傷に耐えられずに自死を選んだこともあったけれど、ネットに渦巻くある種の「気持ち悪さ」
それは受け取り方ひとつで「便所の落書き」のような取るに足らないものにもなれば「目の前に立ちはだかる巨大なモンスター」にもなる。
表面的には優しくても、裏ではどのような感情が渦巻いているのか。
それを表情や仕草から読み取ることもできない。
なんとも高難度な時代になったものだ。
テクノロジーの進化は、人との距離を縮めたようで遠ざけたのかもしれない。
「人権」
それは画面の向こう側の人間を、自分と同じ生身の人間だと理解して初めて獲得するものなのかもしれない。
人の人権を尊重せずに、自分だけ人権を認めてもらおうなんて、無視のいい話は存在しないのだ。
蛇足だが、私は比較的高身長だ。
件の彼女を誹謗する意図はない。
それだけは断っておく。