「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「苦労すべきところ」と「手を抜くところ」のバランスについて

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全てに全力で取り組んでいたら疲れてしまう。

 

気力も体力も充実しているのならば大いにやればいいけれど、

私にはもうそこまでの力は残っていないのだ。

 

いつまで経ってもエネルギッシュな人、

そういう人は常に全力なのだろうか。

いや、どこかで疲れを癒しているタイミングがあるはずだ。

 

その見極めが上手いのだろう。

 

ここしばらくの私、

あまり執着が湧かなくなった。

あらゆることに対して、どこか割り切っているように感じる。

 

そうなると、最低限やらなければならないところはキープしつつも、余分なところに対しては余裕を持って取り組むことができる。

 

詰まるところ「功名心」や「周りの目」

そういうものに囚われすぎるから「手を抜くこと」ができなくなるのだろう。

 

「目的」を意識することだ。

 

何をすれば「目的」を果たせるのか。

そこにフォーカスすれば自ずと負担は減ってくる。

 

「手を抜く」と書くと表現は悪いけれど、余裕のないところに創造力は生まれにくい。

 

わざわざ創造するための時間を設けている企業まであるくらいだから、如何に創造するための時間を創出するかは、これからのビジネスに求められる課題なのだろう。

 

そして、その時間の中にまた活力が湧いてくる。

人の行動力の源泉は「主体性」だと私は考える。

創造は「主体性」がなければ行うことはできない。

 

自らの価値観を元にして、これまで培ってきたものを絞り出す作業、

その中にオリジナリティのある新しいものが生み出されるのだ。

 

「余裕」は必要だ。

常に目の前にやらなければならないことがあり、

何かに追われながら生きていると、

人は忙殺されてしまう。

 

だから、自分を殺してしまわないように、

もう一人の自分が客観的に状況を判断する。

いわゆる「メタ認知」というやつだ。

 

人のことならば、「もっとああすればいいのに」と気づくことは多い。

それは相手を外から客観的に見ているからこそのこと。

 

それならば自分に対しても同じように見てやればいい。

ブログを書くということは、私にとってのメタ認知だ。

 

しかし、残念なことに、

今の私には手を抜いていいところが見当たらない。

そうなってくると余計に追い詰められるのだろうか。

 

比較するとなると、今は仕事よりもプライベートの方が重要な時期だ。

だから、ある程度は気持ちのベクトルをプライベートに傾けた方がいいのかもしれない。

 

手を抜く。

その表現が適切かはわからないけれど、

しばらくは考えるべきことをとことん考えよう。

 

今はそれでいい。

むしろ、それしかできないのだ。