今日はエイプリルフールだ。
私はこれまで、毎年この日にエイプリルフールネタを投稿してきた。
全く覚えていなかったのだけれども、
去年のエイプリルフール記事はスワローズの日本一をネタにしている。
本当に全く覚えていなかったのだが、まさかの正夢となっていたようだ。
これだけで一つの記事を書けそうだけれども、
ひとまずそれは置いておこう。
「気恥ずかしさ」をオオカミ少年的な感じで隠したいと思っていたのだけれども、私のエイプリルフールネタは、どうやら実現してしまうほど強いパワーを持っているらしい。
だから今年は「本当のこと」でも書いてみよう。
これは妄想でもなんでもない。
そして、昔の話でもない。
今の私の話だ。
少し前に投稿した記事、
こんな前振りまで用意して、
「書きたかったこと」というのが今日の記事だ。
ブログを始めて4年あまり、
前に彼女ができてから、時の流れること15年くらいだろうか。
どうやら私にも春が来たようだ。
「私に彼女ができた」
それは紛れもない事実なのだ。
お相手はもちろん、
ここしばらくブログに書いてきた人だ。
まだまだ結婚に向けては慎重な様子。
付き合うことになれば、一気に進むのかと思いきや、どうやらそういう感じではなさそうだ。
一層、私は試されるのかもしれない。
特に不満を言われたこともなく、告白に対してもすんなり「はい」と言われた。
「なんちゃって」と付け加えるほど、少し照れた様子で「即答しちゃって良かったんですかね?」とハニカム彼女はとても可愛かった。
私は彼女に対して「なんでも話してくれるな」と思っていたのだけれども、彼女からすれば「私にはなんでも話せる」ということだったらしい。
彼女と私はあまりにも似ているのだ。
お互いがお互いに対して誠実であることに全力で、
なかなか関係は進まないところまで似ている。
一応「恋人」ということにはなったけれど、
その実感は全く湧いてこない。
彼女とはまだ手を繋いだことすらない。
始まりの感情が「尊敬」だった。
相手にしても、私に対してトキメキのような感情を抱いているかと言えば、あまりそういう様子はない。
私の受け答えは「面白い」らしい。
そして、なんでも話せるらしい。
彼女との時間はあまりにも自然すぎて、
どこか「恋人」を飛び越えて、
「夫婦」になったかのような安心感がある。
話をしていて、
旧知の中のように、
あまりにも「違和感がない」のだ。
育ってきた環境は全く違う。
だけれども、価値観から人生観、
自己評価から他人から見られていると思う自分像まで、
恐ろしいほど考え方が「同じ」なのだ。
「似ている」というレベルではない。
「同じ」なのだ。
おそらく、それはお互いが感じていること。
彼女の話に対して、私は彼女の欲しい言葉を与えている様子。
そして、逆もまた然り。
環境や性別は違うものだから、
「価値観」は同じでも「視点」は違う。
それがまた、心地の良い刺激を生み出すのだろう。
お互いがお互いの歩みを「素晴らしい」と褒め称え合う。
なんなのだ、この関係は。
早く壁を取っ払って、距離を縮めたい。
だけれども、そうしたらまた違う彼女の姿が見えてしまうのかな。
今の彼女は「神秘のヴェール」を纏ったまま。
そのヴェールの中身に私は幻滅してしまうのだろうか。
それとも、ますます彼女に魅了されるのだろうか。(いやらしい意味ではない)
何はともあれ、一歩先に進んだ。
関係性は少しずつ変わってくるのだろう。
今の私にはまだ、この後の展開が見えてこない。
それは彼女にとっても同じことだろう。
私たちらしく、
大切に時を刻んでいきたい。
この4年間、
奇跡的に女性とうまくいかなかった経験たちは、
全てここに繋がっていたのかもしれない。
ボタンを少しでも掛け違えていたら、
おそらく私は彼女と出会うことはなかった。
全てが彼女と出会うためだったのだ。
人の気持ちは、時と共に変わっていくものだけれども、彼女に対する「尊敬」の思いは、冷凍保存しておいて、事あるごとに少しずつ切り取って味わいたいと思う。
この時の気持ちを忘れないようにしたいから。
いつまでも私は彼女のことを、
「世界で一番素敵な女性だ」と思い続けたい。
私の理想を押し付けるのではなく、ありのままの彼女を「素敵だ」と思い続けたい。
きっとそれが、私が私らしくいられて、彼女が彼女らしくいられることに繋がっていくはずだ。
とは言いつつも、
彼女ができたなんて、どうせウソでしょ?と、
最後にエイプリルフールオチかと期待されている方もいるかもしれないが、ご期待には添えない。
私には彼女が出来たのだ。
ウソのようなホントの話。
それが今年のエイプリルフールネタだ。
来年の今頃は結婚しているかもしれない。
その時の私は、どのような記事を書くのだろうか。