日経新聞の全面広告に掲載されて、
「性的搾取」だと、フェミニスト界隈の方たちに叩かれているという、現在進行形で炎上中の作品らしい。
「日経新聞に掲載するか?」と言われると、確かに疑問だが、敢えての炎上商法という線もある。
現に私はこの作品を全く知らなかったのだが、
ヤンマガwebにて一部無料で読めるみたいだから、これを機に何話か読んでしまった。
まさに講談社の「思う壺」である。
これはわかりやすく問題作だ。
「男の夢」が詰まった作品と言っても過言ではない。
少なくとも「おっぱい大好き人間」の私にはズバズバとよく刺さる。
満員電車で、お胸の大きなJKと密着するところから始まって、そのJKとスッタモンダの末に懇意になるリーマンが主人公という設定。
なぜだか、そのリーマンが教育係をする新人女性社員も、豊かなお胸を揺らしながら仕事に励む。
豊かなお胸に囲まれながら、社会生活を営むという、なんとも「けしからん」設定である。
確かに、こんな子たちと会えるのならば、会社に行く月曜日が楽しみになるだろう。
そして、この満員電車JKがまたあざといのだ。
自分の魅力をわかっていて武器にする。
そういうスケベ心を煽る設定盛りだくさんの作品のようだ。
狙いがあからさま。
青年誌で連載しているのだから、
まぁ、そういう作品なのだろう。
「気持ち悪い」と感じる思い。
わからなくはないけれど、二次元の創作にいきりたっても仕方がない。
「日経新聞の広告」という媒体にしたところで、普段とは違うルートに掲載し、私のような新規を取り込むためのものとすれば、マーケティング戦略として、あながち悪い手とは言えない。
前述の通り、炎上を狙ったのであれば大したものだ。
世の中には、数々の性癖があって、
胸の大きな女性を好きな男もいれば、小柄で華奢な女性を好きな男もいる。
男同士の情事に興奮する女性もいれば、
マッチョマンの筋肉に惚れ惚れする女性もいるだろう。
BLの広告だって、ネットを見ていたら、それだけでたくさん表示される。
全く興味のない私の目に触れるくらいだから、多くの人が、意図せず当たり前のように目にしているはずだ。
それに、リアルなところで言えば、生理用品のCMだって、男からしたら、お茶の間で流れるのは相当気まずいものだ。
でも、そんなことにいちいち「けしからん」と声を挙げていたらキリがない。
需要があるから広告を打つ。
それが市場原理なんじゃないのかな。
主義、主張は人それぞれだけれども、
こんなことにまで、いちいち感情を動かしていたら疲れてしまわないのだろうか。
「それはそれ」と割り切れば良い。
どうせ広告を打つことで効果があると判断されることになれば、その広告は手を替え品を替え、なくなることなどないのだから。
いきり立つ人たちは、こういう広告を目にすると、どのようなロジックで「叩く」という行動に至るのだろうか。
私はそっちの方に興味がある。
女性としての自尊心を傷つけられる想いに駆られるのだろうか。
弱い立場とされる「若い女性」を守りたいという使命感だろうか。
過去のトラウマから来る「#metoo」的なものだろうか。
いずれにしても、
加害者性としての男性性を嫌悪しつつも、女性から優しさを搾取される弱者男性として、割と長いこと記事を投稿していた時期があった私の経験から述べると、いくら努力を向けて、主張を拡散したところで、自尊心の回復は全く望めない。
それどころか、対象に対する嫌悪感はさらに強くなり、自らの手で自らの傷口に塩を塗っている感覚すらあった。
どんどんトラウマは増幅する。
嫌悪感を募らせるほどに、どんどん自分のことまで嫌いになってしまうのだ。
指先だけでいくら世界を変えようとしたところで、その熱量は限定的だ。
いっときは燃え上がったとしても、時と共に沈静化していく。
「世界を変えよう」などと思わずに、「自分が変わる」方が遥かに楽だ。
「性的搾取」という言葉にいきり立つみなさん。
私はみなさんには、無駄なことにいちいちささくれ立つ、そんな感情を手放してほしいと思う。
その方がよほど幸せになれる。
人は「経験」を信仰する生き物。
それでいて、時間をかければかけるほど、その対象に対して執着を強くする生き物なのだ。
手遅れにならないうちに、こんなどうでも良いことに対するこだわりを捨てたら良いと思う。
世界を変えることよりも、
自分のことを幸せにしてあげてください。
その方がよほど効果的だ。
何度か記事にもしているけれども、
男にとっての「性欲」は捨てようとしても捨てることのできないもの。
多くの男にとっては、見えないところで感情に身を任せて発散しているものでもある。
そのための媒体が世の中には必要なのだ。
生物としての特性上、仕方のないこと、
草食の権化のような存在である、童貞の私が主張するのだから、少しは説得力があるだろう。
男と女、
違う生き物同士、
傷つけ合わずに仲良くやっていけたら良い。
そう思うのは私だけなのだろうか。
傷つけられた経験。
簡単に拭い去ることはできない。
だからこそ、自分だけは、
自分のことを好きでいてほしい。
きっと、そこからがスタート。
お大事にどうぞ。