散り行く桜にも風情はある。
舞い上がる花びらの中を颯爽と駆けると、
なんとも幻想的な雰囲気に包まれるのだ。
先日、未就学の姪が、
嬉しそうに「これあげる」と、
握っていた手のひらを解く。
すると、
その小さな手のひらの上には、
3枚の小さな花びらがあった。
「ありがとう」と受け取る私を見て、
姪は嬉しそうにしながら、
また新たな宝物を探しに出掛けていく。
「全てが輝いて見える」
きっと彼女にとっては、
世界の全てが眩しく映るのだろう。
その彼女の姿勢に感化されたからだろうか。
私は「散り行く桜」さえも美しいと感じた。
世界には美しいものが溢れている。
それを「美しい」と思えないのであれば、
曇ってしまったのは私の目。
かつては、あんなにも輝いて見えたものたちが、
色を失っていく。
人は経験することで、
「大きなもの」を得ると同時に、
「小さくないもの」を失うのかもしれない。
私の目の前に現れたものたちを、
私はどれだけ愛おしく思えるのだろうか。
その気持ちが、これから先の人生を豊かにしていくのだと、漠然とした確信がある。
結局のところ、
幸も不幸も自分の心一つなのだ。
どこかで心を動かすことをやめてしまう。
傷つくことを恐れて、
自己防衛本能ばかりが発達していく。
そのうちに人は、
動かなくても生きていけるシステムを、
自らの心の中に作り上げて、
心を動かすことを厭うようになる。
手足が動くうちに、
ガムシャラに、その手足を動かして、
心に熱を伝えるしかないのだ。
固く冷たく閉ざされた。
そんな世界に包まれて、
ただ漫然と時を過ごしながら生きるのは嫌だ。
私は心を動かしながら生きたい。
例え、傷つくことばかりだとしても、
私は、私らしく生きたいのだ。
どのような状況になったとしても、
人の心に響く姿を見せることはできるのだ。
散りゆく桜を見て、
そう感じた。