トップの画像は、私のブログに突如表示された広告だ。
この広告が表示されたことに対して、私は猛然と抗議したい。
「けしからん」全くもって「けしからん」
大きい胸を小さく見せるとは、なんて「けしからん」ブラなのだ。
この商品は、世の中の幸せの総量を減らしているのだ。
こんなことを書くと、『月曜日のたわわ』のように炎上してしまいそうだ。
だけれども、女性の方にしたって、自らの容姿を武器にして男を手球に取るような輩がいるのだから、感覚は「人それぞれ」ということになる。
主人公の1人である青豆さんは、バーで見ず知らずの中年の男性を引っ掛けて行為に及ぶほど、積極的で魅力的な女性という設定だが、胸の小さいことにコンプレックスを抱いている。
著者が男性だから、男性目線だと言われればそれまでだが、女性からしたところで、「大きい胸」を自らの武器として考えているところはあるのだ。
「大きく見せるためのブラ」なんてものもあるわけだから、それを否定することはできないだろう。
だけれども、一方では、そういう目で見られる事を望まない。
それも当然ある。少なくとも表面的にはこっちが圧倒的に多数派で、心からそう考える女性も少なくないのだろう。
だから「小さく見せるブラ」
この手の商品に需要があるのだ。
私は中学の頃に「デカチン」とバカにされていた時期があった。
そう、私のあそこは人と比べて大きいらしい。
今では誇らしく思っても良いのかもしれないけれど、どの道、一度も行為に及んだ経験がないのだから宝の持ち腐れなのだろうか。
大きさに対する女性たちの需要がどこにあるのかはわからないけれど、これは「大きい胸」に通じる部分かもしれない。
子供の時のことだから、女子の前でもやたらと「デカチン」といじられて、恥ずかしい思いをした記憶がある。
皮が向けているだの、毛が生えてきただの、中学生特有である体の成長に対する話題の尽きない時期の話だ。
割と背の高い私は、人と比べて成長が早かったのだろう。
その時は、それをコンプレックスに感じていた。
もしかしたら、胸の大きな女性も同じなのかもしれない。
そして、私のものとは違って、大きな胸は隠しきれないものだから、大人になってからもシンボルとして存在感を発揮し続ける。
大きな胸をコンプレックスと感じているのであれば、それは当人にとっては耐え難いことなのだろう。
「不細工なのに胸でかい。
お笑い芸人である「レギュラー」のネタにこんなフレーズがあった。
今であれば、間違いなくコンプライアンス違反となるであろう、このフレーズ。
これはもしかしたら、当時も世の女性たちを戦々恐々とさせていたのかもしれない。
結局、男も女も初めはある程度「容姿」で相手を判断するのだろう。
そこに病理はある。
私にしたところで、付き合っている彼女の容姿に惹かれているところはある。
もちろん人として心から尊敬しているけれど、もしも彼女の容姿が私の好みとはかけ離れたものだったら、そもそもパートナーとして深く人間性を知ろうとは思わなかったかもしれない。
「愚かだな」とは思うけれど、これは私の持つ性質であり、少なからず誰もが持つ性質なのだろう。
だから、容姿のケアもする。
それは大事なことなのだ。
「胸を小さく見せたいこと」も「大きく見せたいこと」も、理想の自分であるための努力なのかもしれない。
そう考えると、化粧やボディメイクと何ら変わらないものとなる。
「けしからん」ことは何もない。
私は大きな胸に惹かれるものだから、少し理性を失って騒ぎ立ててしまったようだ。
もしかしたら、付き合っている彼女の胸の膨らみもまた、大きく見せているだけなのかもしれない。
私たちはまだ、それを確かめるところまで関係を進めてはいない。
もしも、たくさんの詰め物を確認してしまったとしたら、私はどれほど落胆するのだろうか。
「愚か」だが仕方がない。
私は私から見える、彼女の全てに惹かれているのだから、「見えているよりも小さかったら、それはショックを受ける」
欲望を書き出したらキリがなさそうなので、
この辺にしておこう。