「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「漠然とした忙しさ」の正体

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「忙しくありたい」という願望。

「忙しくなければならない」という強迫観念。

 

そういったものが、

人を駆り立てるのだろうか。

 

私は最近、「常に忙しい」と感じている。

確かに冒頭のような気持ちがゼロとは言わないけれど、

少々、違和感がある。

 

「私の現状」を細分化してみると、

意外と時間に余裕のあることに気が付く。

 

「転職して忙しい」といったところで、

勤務時間は転職前とそこまで大きく変わらない。

それどころかテレワークが増えたのだから、

通勤を含めた単純な拘束時間は、おそらく減っているくらいだ。

 

確かに勤務時間中は、次々と新しい仕事に放り込まれてヒーヒー言っている。

勤務時間中の疲労感は転職前の数倍はある。

息つく暇もないくらいに、休憩時間を削ってひたすら画面と向き合う日も少なくない。

そういった意味では確かに「忙しい」のだろう。

 

だけれども、その「忙しさ」は時間的な制約ではなく、

「精神的な疲労感が強い」ということが原因だと気が付く。

 

仕事以外の時間も確かに忙しいが、

私はもともと「忙しくしているタイプ」だ。

コロナ前は、これくらい忙しいことが当たり前だったように思う。

 

そうなると、だ。

私は「私が思っているほど忙しくはない」

冷静に考えるとそういうことになる。

 

メリハリをつけることができればいいのだろう。

おそらく「仕事の疲労感」をプライベートに引きずっているのだ。

「やらなければならないこと」は、次から次へと降り注いでくる。

だから、勤務時間を終えてもスッキリとした感覚がない。

 

ボーっとしているときに仕事のことが頭をよぎる。

そういうことは転職前と比べて増えたように思う。

 

私にとっての「漠然とした忙しさ」の正体は、

おそらく、ここにあるのだろう。

 

主体性を失った途端に、人はすべてが嫌になってしまう。

努力が後ろ向きに変わり、

いくら頑張っても「やらされている」と感じるようになる。

 

与えられた課題に対して、

どれだけ主体性を持って取り組むことができるのか。

そのためには、心と体を元気な状態に保つ必要があるのだ。

 

心と体、

 

そのどちらか一つでも疲弊してしまうと、

人は休息を求めるようになる。

 

「やりたかったこと」は負担となり、

「やらなければならないこと」に変わる。

 

仕事の時間以外は、仕事のことを考えない。

それくらい割り切った気持ちで生きることができれば、

おそらく疲労感は大きく軽減されるはずだ。

 

私は、「自分が思っているほど忙しくない」

まずは、そのことを肝に銘じて、気持ちに余裕を持つところから始めよう。

 

「忙しいこと」を居場所にしてはいけない。

「楽しいこと」を居場所にしよう。

 

どうせやることは変わらないのだ。

それならば、軸足は「楽しいこと」に移したほうがいい。

 

「私はたいして忙しくなどない」

そのはずだ。。。

 

「紅に染まったこのオレを慰める奴」は自分しかいない。