「100%の善意であっても、見返りを求めない純粋な気持ちを持ち続けることは簡単なことではない。
だから、『気球の碇(いかり)』のように遠くへ飛んでしまわないように地に足つけておく必要がある。」
この言葉を読んだときに「ハッ」とした。
言い回しは違うけれど、年頭に掲げた今年の私のテーマに思い切り突き刺さる言葉だった。
「信念」が先か。
それとも「見返り」が先か。
どちらが先というものではない。
「そのどちらも同じくらい強く求める、そんな欲張りな一年でありたい」と、私はそのように考えて今年をスタートした。
そのためには「できることはなんでもやる」
求めるものが大きければ、それに見合うように行動様式を変える必要がある。
「欲張りな要求」には、それなりの行動を求められるのだ。
今年も半分近くが経つけれど、今の私はまさに「欲張りな人生」を歩んでいる。
仕事は忙しく、プライベートも忙しく、
彼女はできて、おまけにスワローズは絶好調だ。
疲れを癒す暇もなく、やることは際限なく溢れてくる。
それもこれも、私が大きなリターンを求めているから、自らの時間を投資しているのだ。
実際のところは徒労に終わるかもしれないけど、
それくらいのメンタリティが必要だ。
もはや、それくらい強靭な意志がないとやっていられない。
私は、私の望む未来に向けて、力強く歩みを進めているのだ。
だから、大変なことも、理不尽なことも、
100%の奉仕活動のようなことにも、全力で取り組んでいる。
どのような形で戻ってくるかはわからないけれど、私は自らの行動に大きな見返りを期待している。
金銭的なものでもありがたい。
成長という形でもありがたい。
充実感、連帯感、高揚感、なんでも良いのだ。
見返りを期待するから、
人は主体性を保つことができる。
それは、さながら「気球の碇(いかり)」として機能する。
全くその通りだと思う。
誰かの敷いたレールの上を、
思考停止したまま走っているだけでは、
誰の人生を生きているのかわからない。
たくさん欲張れば良い。
たくさん動けば良い。
何かしらのリターンは必ずある。
あとは、それをどのように受け止めて、
どのように血肉に変えていくことができるか。
動いた人は強い。
それだけ経験を積み重ねることができるのだから。
私の周りでは、大きなパラダイムシフトが起きている。
さながら『1Q84』の世界のようだ。
転職という大きな変化に身を投じた途端に、
私はパラレルワールドに足を踏み入れてしまったのかもしれない。
その中で、強い意志を持ち続けて、
私は私らしく居続ける。
それが唯一の日常へと戻るための道なのかもしれない。
どのような環境でも、自分らしく歩みを続けるならば、歩く道は自分の道となる。
それを信じて、ひたすらに進むしかないのだ。
大いに見返りを求めながら、進めばいい。