「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「一緒に走る」ということ

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私のこれまでの経験からして、

誰かと「一緒に走る」ということは、

自由気ままなランニング活動に少しばかりの制約をもたらすものだと感じる。

 

ペースを合わせないといけないし、

走る目的が少し違ったりもする。

だけれども、走り終わった後の爽快感を共有できることは間違いない。

 

ここ最近もよく感じることなのだけれども、

「人は人の中にいることで満たされる」のだ。

 

誰かと些細なことを共有したり、

些細なものでも「自分に居場所がある」と感じるだけで、乾き切った心に潤いが与えられる。

 

「道具として人を見てしまう心の弱さ」

その連鎖が不幸を生み出すのだ。

 

お互いが「心を通わせそう」と努めることで、

それだけで世界は優しくなれる。

 

そのために必要な共同作業。

その中の一つに「一緒に走る」というものがあるのかもしれない。

 

息を切らして、苦しみに耐えて、それに耐え切り目標を達成した時の爽快感。

そこには、ある種の仲間意識が芽生えるのだろう。

 

仕事も同じ、家庭も同じ、

苦楽を共にすることで芽生えるものがある。

そこには、言葉では言い表せないような居心地の良さが生まれる。

 

詰まるところ「苦楽を共にした経験の共有」

そこに帰属意識の本質があるのかもしれない。

 

だから、割り切った人生は虚しい。

多くのものを求めて、そのためにたくさん動いた方がいい。

 

一歩を踏み出さなければ、波風が立つことはない。

一歩を踏み出したからこそ、苦しみも喜びも生まれるのだ。

 

「命の使い方」

 

何度も書いていることだけれども、

私はそのことに思いを馳せ続ける人生を生きたい。

 

私は今、走り続けている。

ランニングだけではない。

「人生」という長い旅路を走り続けている。

 

そして、一緒に隣を走ろうとしてくれている女性がいる。

それだけで私の人生は大きく変わるはずだ。

 

一緒に走る相手は決まりそうだ。

 

だから、どこを走るか。

何を目的として走るのか。

もう少し、しっかりと考えたい。

 

考えなければならないことはたくさんある。

それが今の私に課せられた課題だ。

 

今は足を止めるわけにはいかない。