今回のクールで、思わず唸ってしまったドラマ。
「社会的な意義のある作品」であると感じた。
「あらすじ」はこうだ。
永野芽郁さん演じる主人公は、貧困のため十分な教育機会を得ることができなかった。
そこで、ITの力を使って「教育格差をなくしたい」と奮起し、所属していない大学の授業に潜り込み独学で起業への知識を身につける。
その過程で出会った仲間たちと起業し、アプリさえあれば誰でもバーチャル空間の学校に通うことのできるシステムを立ち上げる。
若者ばかりの会社に一人、西島秀俊さん演じる中年の元銀行員を迎えて、物語は紆余曲折を経て着実に進んでいく。
このドラマを見ていて私の唸ったシーンは、いわゆるユニコーン企業へと進む若者の活力とみずみずしさ、ではない。
若者の中に一人放り込まれた、西島秀俊さん演じる中年の元銀行員が、若者達にはない発想で企業に安定感をもたらしているシーンだ。
「今時の若者は。。。」
よくそういう声が聞こえてくる。
そして「考え方が古い。。。」
もう一方からはそういう声が聞こえてくる。
基本的には、利益を上げるという目的のもとに同じコミュニティを形成する「会社」という名のゲゼルシャフト。
そこには多くの世代が同居していることが一般的だ。
最大では親子以上の世代差がある環境の中で、それぞれの価値観を理解し合うことは難しく、自らの価値観を肯定するために、意に沿わない価値観からは学ぶことをしない。
それも一般的なのかもしれない。
「対価を得るために労働力を提供していればいい」
そうやって、仕事は仕事でしか無くなって、そのために使う時間は活力を失っていく。
このドラマでは「若者と中年の価値観が融合することで苦難を打開することができる」というテーゼが前面に押し出されている。
ユニコーン企業と聞くと、イケイケな若者たちが自らのアイデアを糧にして、パワフルに事業を推し進める、というイメージがあるけれど、
実際のところは、法務系や事務系など経験の必要な分野では大人の力を借りているはずだ。
それはコンサルという形で外注で行われることがほとんどかもしれないけれど、どこかで必ず若者と中年の融合は行われているはず。
今までの「起業」をテーマにしたドラマは、そうしたシーンを描くことは少なく、イケイケの若者たちの奮闘を描くことが多かった。
中年の奮闘を描いたとしても、そこはバイプレイヤーの役割であって、彩りの一つでしかないことがほとんどだ。
しかし、この作品は、そのポジションに西島秀俊さんを据えて、主演級の扱いをしている。
そこに私は「見事だ」と感じたのだ。
長らく日本社会に鎮座していた「年功序列」は、少しずつ形を変えてきている。
実力次第で立場の上がっていく環境。
それを求める人は、それを叶えてくれる環境へと巣立っていく。
年齢と役職が逆転することも珍しくない。
そうなると、互いに気を使い、互いを認め合うことが難しいのかもしれない。
これは、これからの社会問題の一つになるはずだ。
年齢や性別に関係なく、「すごいところはすごい」とバイアスをかけずに認め合える素直な心。
そして、そこから学ぶ謙虚さ。
そういうものを持っている人は強い。
転職をしてからの私は、立場はともかくとしても、
1番の下っ端との気持ちで仕事に取り組んできた。
それが功を奏してなのか、ある程度の立場を手に入れるに至った。
まだまだこれからなのだろうけれども、ひとまず環境を自分のものにできた感触はある。
「自らのバイアスを知ること」
確か、『7つの習慣』の一つに挙げられていたことだと記憶している。
年齢や性別、見た目や話し方、人を判断するための材料はたくさんあるけれど、最後はやはり、実績と仕事ぶりで判断されるべきだろう。
集団として成果を出せる能力の持ち主は稀だ。
だからこそ、不足した能力を埋めるために重い責任を負うことの対価として、高い賃金を得ることができる。
そこに年齢も性別も関係ないのだ。
「人を見る目」
人は、これまでの経験に頼って、目の前の人を判断してしまいがちだけれども、
目の前にいる人は、これまでに出会った誰かと似ていたとしても、まったくの別人なのだ。
だから、経験だけでその人を判断することはできない。
当たり前のことなのだけれども、なかなかそれを拭うことはできない。
それぞれの特性を活かして、それで組織が発展することが理想的だ。
表面的な繋がりしかなく、労働力がただの部品となってしまったら、そこに喜びは生まれない。
「生きがい」や「働きがい」という言葉が流行っているけれど、
それを得るためには、生きた組織に所属する必要がある。
長らく、労働力を部品化することに躍起になってきた社会の在り方。
そこに限界がきているのかもしれない。
所詮、従業員は「人」なのだ。
仕事に「居場所」を求めている人も少なくはないだろう。
これからの社会はまた、大きな方向転換を迫られるのかもしれない。
私たちは、どこへと進むのだろう。