皆さんのブログを読んでいる時に表示される広告。
その中でたまにエロ漫画が表示されるのは、おそらく私の興味関心のせいなのだろう。
それはさておき、少しネット検索で腕時計を調べていたり、PCを調べていたりすると、それだけでしばらくはその広告が表示される。
これは主にcookieと呼ばれる仕組みを使って、ブラウザにアクセス記録を保存しているからだ。
検索をするだけで、その検索エンジンを提供している会社に情報を提供している。
誰もが無意識のうちに、ネット上に情報を撒き散らしていることになる。
先日ゾッとした出来事。
私のおおよその年齢と年収。
そして住んでいる地域までピンポイントで表示される広告があった。
「◯◯市で不動産をお探しならば」だとか、
「◯◯歳で年収が◯◯円以上の方必見」だとか、
多くは投資や転職を勧めるもの。
これは、恐ろしいと感じた。
知らず知らずのうちに、どこまで私の個人情報は分析されているのだろうか。
検索が便利になることは望むところだけれども、あまりにもピンポイントだと逆に恐ろしい。
情報化社会にあって、情報の持つ価値は高まる一方だ。
日本ではそこまで厳しく取り締まってはいないけれど、中国や欧米では国ぐるみで個人情報や技術の囲い込みを進めている。
法律自体を変えて、違反した企業や個人には厳しい罰則を設けているのだ。
だけれども、そもそもそこまで便利になる必要があるのだろうか。
技術が行くところまで行ってしまったから、そこからさらに差別化を図るために、過剰に便利にしすぎなんじゃないかな?
システムが便利になればなるほどに、人は便利なものばかりを求める方向へと進み、そのうちに人間の機能は衰えやしないだろか。
「効率の良いこと」が当たり前の時代。
いざ、システムが停止すると業務はままならなくなる。
先日起こったauの通信障害が良い例だろう。
今や人はシステムなしではまともに生活することもできないのだ。
果たして、人は進化しているのだろうか。
それとも、退化しているのだろうか。
不自然の中に生きる現代人。
休日に自然に触れる機会を求める様は、絶妙な皮肉を孕んでいる。
何から何までシステムがコンシェルジュをしてくれる。
人は、便利であることに疲れているのではないだろうか。
人がシステムに支配される時代は、もうそこまできているのかもしれない。
いや、既にそのような時代が到来しているのかもしれない。