「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

生まれてから死ぬまで「変わらないもの」

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私が私であるために

変わってはならないもの。

 

そういうものは確かに存在していて、

「私の生き方」の根幹を支えているのだろう。

 

人は、あまりにも大きな経験をすると、

それをアイデンティティの一部とする。

そして、一度確立したアイデンティティは、その後も大きく変わることはない。

 

私は一度メンタルをやってしまって、大きく価値観の変化をせざるを得ない状況になった。

そこからは、ゼロから自らのアイデンティティを構築し直したかに見えても、実際のところ作り直した価値観は、根本的には元のものと、さして変わらないものだったのかもしれない。

 

「今の私」と「前の私」

 

ブログでそういう表現を使うことがあったけれど、両者の差は、私が思うほど大きくはないのだろう。

 

大きな差といえば、「努力は必ず報われる」という価値観を捨てたことくらいだろうか。

「報われなくても生きていくしかない。誰かが代わりに自分の人生を生きてくれることはないのだ」

 

私はなんだかんだで、私のことを認めている。

有森裕子さんじゃないけれど、よく頑張ってここまで辿り着いたと褒めたいほどだ。

 

私は私のことをめんどくさいやつだと思うと同時に、いいやつだとも思う。

おそらく私の前に他人として私が現れたならば、仲良くなるかどうかはわからないけれど、少なくとも「人として信頼はできるやつ」だとは思うだろう。

 

それだけのことを積み重ねてきた。

だから、自己肯定感が低いようでも高く、理想はわかりやすく高いのだろう。

 

だけれども、至らぬところは沢山ある。

そのことは強く自覚している。

だから、必要であれば自分が変わることを厭わなくなったし、誰かに合わせるための柔軟性を身につけた。

 

「今の私」は、再構築した結果として、例え出来上がったものが同じようなものだったとしても、

一度ゼロから価値観を作り直した成果なのだろう。

 

話が逸れてきた。

戻そう。

 

私は昔から「こだわりが強い方」だ。

自分で決めたことはやり通す。

その反面で、納得のいかないことが続くと簡単にモチベーションは下がる。

その狭間で揺れながら、ここまで辿り着いた。

 

世界は「自分のもの」ではない。

納得のいかないことに囲まれながらも、

「やらなければならないこと」はやらなければならないのだ。

 

だから、私は「やりたいことと、やらなければならないこと以外は極力やらない」

そんなテーゼを打ち立てた。

 

転職前は、概ねそれでも人生をコントロールできていたのかもしれないが、転職してからはそうもいかないことばかりだ。

加えて、結婚に向けて進む中で、思い通りにいかないことは増え続けている。

 

私はこれまで「コントロールできている」と思い込んでいただけで、「コントロールできる範囲でしか動いていなかった」のだろう。

そのことを痛感する日々だ。

 

そうなると、私も変わらないといけない。

だけれども、変わるべきだとは思っても、どうにも譲れないところが出てくる。

 

それが前述の通り、納得のいかないことに対するハレーションとして現れる。

自らの価値観、倫理観に照らし合わせて、「おかしい」と思うことに対しては、相手が誰であれ簡単には承服しない。

 

それが「扱いづらさ」と捉えられて、衝突が起きることは「しばしば」ある。

 

だけれども、私は私なのだ。

これまでの生き方に筋の通らないことばかりを続けていたら、誰の人生を生きているのかわからなくなる。

 

そこの線引きは守りながらも、周りと調和するために労を尽くす。

今のところ目指しているラインはそこのあたりだ。

 

人は年を取れば取るほど、周りの話に聞く耳持たなくなる。

素晴らしい人格の持ち主が、そのままずっと、素晴らしいままだとは限らないのだ。

 

筋を通すための「こだわり」を持ち続けながらも、

自らの人間性がおかしな方向へと進んでいないか。

その点は、よくよく監視せねばならない。

 

「自信」が「過信」や「盲信」へと繋がってしまったならば、自分ではおかしいことに気がつくことはできなくなる。

ゆめゆめ注意が必要だ。