「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

社会人としての責任感って?

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私は「めんどくさがり屋」だ。

ブログを6年近くも毎日更新し続けていて、リアルでも周りからは律儀に見られることが多い。

しかし、それは私が必要だと思うことをしているからに過ぎない。

 

「やりたいこと」と「やらなければならないこと」以外は極力手を出さない。

一度メンタルをやってしまってからは、その行動規範に従って生きている。

 

だから100点を目指す人とは相性が悪い。

80点で問題のないことは、たとえそれが仕事だとしても「それで良し」と考えるし、極端な話、やった方が良いがやらなくても問題にならないことは、できればやりたくないと考えている。

 

何事もバランスが大事なのだ。

なんでも定量化すれば良いというものでもない。

感覚的に「ここまでやれば良い」で済ますことのできることもまたスキルの一つである。

 

その点で、私と上司は折り合いがつかない。

上司は基本的にストイックだから、部下に対しても細かい指摘を欠かさずに100点に近づくことを求める。

それが私にはストレスなのだ。

 

そこまでやる必要がない理由を説明すると、数パーセントくらいしか起こらないであろうリスクを挙げて「もしそうなったらどうするつもりだ」と返される。

 

確かに管理する立場としては、リスクの可能性を極力潰しておきたいことは理解できる。

おそらく上司自身もそうやってリスクを潰しながら仕事をしてきたのだろう。

 

「社会人としての責任」

 

「社会人」と一口に言ってもいろいろな立場がある。

だけれども、基本的には「法律を犯さず、任された仕事を全うすることで、雇用主である会社に利益をもたらす」ことと言えるのではないだろうか。

 

会社の利益は、費用対効果で決まる。

そう考えると、ほとんどリスクのないところに投資をすることは、会社の利益につながらないことになる。

経営に携わる立場の人は、如何にリスクをとりながら利益を上げるのか、そのバランサーとしての役割を担うべきであろう。

 

私の上司に限らず、私の会社は過度に失敗を恐れる文化が強い。

それは人事考課が減点方式でなされていることが大きな要因だろう。

組織が大きくなればなるほど、組織を構成する人を評価することは難しくなる。

 

失敗は目立つ。

そうなると、わかりやすい評価の方法として、失敗をしない人が評価をされるということになるのかもしれない。

 

社会人としての責任を果たすことと、会社で評価

されることは一致しない。

それならば、給料を上げるためには会社で評価されることを目指すのだろう。

 

例え、それが会社の利益につながらなかったとしても、それで評価されるならば、それが正解なのかもしれない。

「失敗をしない」ように、100点を目指す方向に私も変わらなければならないのだろうか。

 

それがストレスなのだ。

仕事が人生の全てではない。

その辺りの価値観を見直して、

折り合いをつける必要があるのかもしれない。